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Event / できごと

アフリカの牛疫

The rinderpest panzootic in Africa
AD1890年頃
重要度 5
大英帝国イギリス領インド帝国オスマン帝国ドイツ帝国アラビアポルトガル帝国エジプトソコト帝国エチオピア帝国トゥクロール帝国マダガスカルTransvaalモザンビークKanem-Bornuウテテラ王国Sultinate of Zanzibarワダイ王国メリナ王国コング帝国モシ諸王国LoziYekeMirambo Unyanyembe UkimbuShonaオレンジ自由国ボルグ諸国Harer (Egypt)デンディ王国オマーンRabih az-ZubayrバロツェコンゴTekeルンダ王国アンゴラ(ポルトガル領)YakaMbailunduNdebeleOvimbunduAD1890年頃ナイロビ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1890年頃の版図を描いています(40勢力)

概要

1887年頃、インドかアラビアから連れてこられた牛とともに、牛疫がアフリカの角に入った。免疫の無い大陸を、十年で南端まで駆け抜けた。牛の八割から九割が死んだ地域がある。バッファローとヌーとキリンも死んだ。牧畜で生きる人々が、生活の基盤を一度に失い、飢饉と天然痘が重なった。人口が激減した土地に草が茂り、ツェツェバエが広がった。無人になった草原を、ヨーロッパ人が手つかずの自然として見出し、そこに保護区を設けた。

場所

ナイロビ
-1.29°N 36.82°E · ケニア

本文

**入口**。

**1887年頃**。

(——**イタリアが、**エリトリアに、進出した**。

**そして、**インド、あるいはアラビアから、**軍のための牛**を、船で運び込んだ**。

〈**——**マッサワ港**(現エリトリア)。

**——**その牛が、**牛疫を、持っていた**。

**〈——感染源については、諸説ある。**

**——ロシアからの牛、という説もある。**

**確定していない。**

**——確かなのは、**1887年から89年にかけて、アフリカの角に、外から入った**ことである。〉**〉)

**アフリカ**。

(——**そして、**アフリカの牛と、野生の偶蹄類は、**この病に、**まったく、免疫が無かった**。

〈**——**ユーラシアの牛は、**数千年、これに晒されてきた**。

**——**そして、**ある程度の抵抗性を、持っていた**。

**——**アフリカは、**そうではない**。〉

**——**十年で、**大陸を、縦断した**。

〈**1889年——**エチオピア、スーダン**。

**1890年——**東アフリカ**(現ケニア、タンザニア)。

**1892年——**中央アフリカ**。

**1896年——**ザンベジ川を越えた**。

**1897年——**南アフリカ**。

**——**喜望峰まで、**約十年**。〉)

**規模**。

(——**推定**。

〈**——**地域によって、**牛の80%から95%**が、死んだ**。

**——**そして、**野生動物も**。

**バッファロー、ヌー、エランド、キリン、イボイノシシ、そしてクーズー**。

**〈——ある観察者の記録**(要旨)。**

**「わたしは、**何マイルにもわたって、**骨が、白く散らばっているのを、見た**。**

**——生きた獣を、一頭も、見なかった」。〉**〉)

**人**。

(——**牧畜で生きる人々**が、**基盤を、一度に、失った**。

〈**マサイ**(現ケニア、タンザニア)。

**——**牛が、**食料であり、**財産であり、**そして、**社会そのもの**である**。

**〈——婚資。**

**——年齢組の儀礼。**

**——そして、名誉。〉**

**——**それが、**消えた**。

**そして、**飢饉**。

**さらに、**同じ時期に、**天然痘**が、流行した**。

**〈——弱った人々を、襲った。〉**

**——**推定で、**マサイの人口の、三分の二**が、この時期に、失われた、とする説がある**。

**〈——推定には、大きな幅がある。**

**——それでも、**破局的だったこと**は、確かである。〉**

**そして、**エチオピア**。

**〈——「キフ・カン」**(「悪い日々」)**と、呼ばれた。**

**——1888年から1892年の、**大飢饉**。**

**人口の、**三分の一**が、死んだ、とされる。〉**

**さらに、**南部アフリカのツワナ、ヘレロ、ズールー**。〉)

**そして、土地が、変わった**。

(**(1)**ツェツェバエ**。

〈**——**牛が、いなくなった**。

**そして、**人が、いなくなった**。

**——**耕作と、放牧が、止まった**。

**——**草と、藪が、茂った**。

**そして、**そこに、**野生動物が、戻ってきた**(——生き延びたものが、増えた)。

**——**そして、**ツェツェバエ**が、**藪と、野生動物とともに、広がった**。

**〈——ツェツェバエは、**トリパノソーマ**を媒介する。**

**——牛には、**ナガナ病**。**

**——人には、**眠り病**(アフリカ・トリパノソーマ症)。〉**

**——**結果、**牛疫が去った後も、**その土地に、牛を戻せなくなった**。

**〈——「牛疫が、ツェツェバエの地図を、書き換えた」。〉**〉

**(2)そして、**「手つかずの自然」**。

〈**——**人が、いなくなった草原**。

**そして、**野生動物が、増えている**。

**——**そこへ、**ヨーロッパ人が、来た**。

**そして、**それを、**「太古から変わらない、アフリカの原野」**として、見た**。

**〈——実際には、**十年前まで、人が住み、牛を飼っていた土地**である。〉**

**——**そこに、**狩猟の保護区**と、**後に、**国立公園**が、設けられた**。

**〈セレンゲティ、マサイマラ、そしてクルーガー。〉**

**——**そして、**元々そこにいた人々が、**追い出された**。

**〈——「保全のための強制移住」。**

**——この問題は、いまも、続いている。〉**

**——**近年の環境史の研究が、**この経緯を、繰り返し、指摘している**。〉)

**そして、征服**。

(——**時期が、重なっている**。

〈**——**ベルリン会議**(1884〜85年)。

**そして、**「アフリカ分割」**。

**——**ヨーロッパ列強が、**内陸へ、進出した**のが、**まさに、この十年である**。〉

**——**抵抗する側は、**牛を失い、飢え、そして、疫病の中にいた**。

〈**——**この因果を、**単純化してはならない**。

**——**征服は、**牛疫が無くても、進んだだろう**。

**——**しかし、**抵抗の力が、大きく削がれた**ことは、**多くの歴史家が、指摘している**。〉

**——**そして、**南アフリカ**。

〈**——**1896年から97年の牛疫**が、**アフリカーナーの農民と、アフリカ人の双方**を、打撃した**。

**そして、**その混乱が、**第二次ボーア戦争**(1899年)**の、直前である**。〉)

**その後**。

(——**牛疫は、**アフリカに、居座った**。

〈**——**そして、**20世紀を通じて、**繰り返し、流行した**。

**1982年から84年**の流行では、**ナイジェリアで、**50万頭以上**が死に、**被害額は、**数億ドル**と推定された**。〉

**——**そして、**根絶される**。

〈**——**次の項目。〉)

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