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Person / 人

エル・シド

El Cid
AD1043年頃 – AD1099年7月10日(享年56・推定)
カスティーリャ重要度 5

概要

ロドリゴ・ディアス・デ・ビバール。「サイイド(主人)」とムスリムが呼び、「カンペアドール(戦場の勝者)」とキリスト教徒が。アルフォンソ6世に追われ、サラゴサのムスリムの王に仕え、バレンシアを取った。『わがシドの歌』。「主人が良ければ、なんと良い臣下」。ブルゴス大聖堂に妻と。

関わったできごと(1)

エル・シドのバレンシア占領AD1094年6月 · 取った

本文

ロドリゴ・ディアス・デ・ビバール。1043年頃、ブルゴスの北のビバール。小貴族の子。カスティーリャ王フェルナンド1世の宮廷で、王子サンチョと育った。サンチョ2世の旗手(アルフェレス)。

1072年、サンチョがサモラの包囲中に暗殺された。弟のアルフォンソ6世が王になった。伝説では、ロドリゴはブルゴスのサンタ・ガデア教会でアルフォンソに「兄の死に関わっていない」と誓わせた。

1074年、アルフォンソの姪ヒメナと結婚した。1081年、追放された。理由は分からない。トレドのムスリムの王の領地に無断で入った、と言う。サラゴサのフード朝のムウタミンに仕えた。「サイイド」。アラゴン王サンチョ・ラミレスとバルセロナ伯ベレンゲル・ラモン2世を破り、伯を2度捕虜にした。

1086年、ムラービト朝のユースフ・イブン・ターシュフィーンがサグラハスでアルフォンソを破った。アルフォンソはロドリゴを呼び戻し、レバンテを任せ、1089年、また追放した。

バレンシア。1094年6月15日。「バレンシアの君主」。誰の家臣でもない。ムラービト朝をクアルテで破り、バイレンで破った。1097年、息子ディエゴがコンスエグラでムラービト朝との戦いで死んだ。娘たちはナバラ王子とバルセロナ伯に嫁いだ。

1099年7月10日、バレンシアで死んだ。病気。妻ヒメナが3年守った。1102年、市は放棄され、遺体はブルゴスの近くのサン・ペドロ・デ・カルデーニャ修道院へ。1921年、ブルゴス大聖堂へ。

『わがシドの歌』(1200年頃)は、追放から始まり、娘たちがカリオン公子に結婚して虐待され、シドが法廷で決闘で正義を得る話で終わる。シドは、王に忠実で、慎重で、寛大で、家族を愛する。史料のロドリゴは、両方の側の王に仕えて、自分の国を作った傭兵隊長。1961年、チャールトン・ヘストン。