エル・シド
概要
ロドリゴ・ディアス・デ・ビバール。「サイイド(主人)」とムスリムが呼び、「カンペアドール(戦場の勝者)」とキリスト教徒が。アルフォンソ6世に追われ、サラゴサのムスリムの王に仕え、バレンシアを取った。『わがシドの歌』。「主人が良ければ、なんと良い臣下」。ブルゴス大聖堂に妻と。
関わったできごと(1)
エル・シドのバレンシア占領AD1094年6月 · 取った本文
エル・シド、本名ロドリゴ・ディアス・デ・ビバールは、1043年ごろ、カスティーリャのブルゴスの北にあるビバールという村に生まれた。父は小さな貴族だった。少年のころからカスティーリャ・レオン王フェルナンド1世の宮廷に入り、王子サンチョのもとで育った。1065年、フェルナンドが死に、王国が息子たちに分けられると、カスティーリャ王となったサンチョ2世のもとで、ロドリゴは王の旗手を務め、軍を率いた。

11世紀のイベリア半島は、北のキリスト教諸国と、南の小さなイスラーム諸国が入り組んでいた。かつてのコルドバのカリフ国は崩れ、「タイファ」と呼ばれる20あまりの小王国に分かれていた。タイファの王たちは互いに争い、北のキリスト教の王たちに貢納金を払って保護を買っていた。宗教の違いはあっても、同盟と裏切りは宗教の線をまたいで行われた。ロドリゴの生涯も、その中で展開する。
1072年、サンチョ2世は弟の王国を奪う戦いのさなか、サモラの包囲中に暗殺された。王位は弟のアルフォンソ6世が継いだ。伝説では、ロドリゴはブルゴスのサンタ・ガデア教会で、アルフォンソに兄の死に関わっていないと三度誓わせ、王の恨みを買ったという。ただしこの場面は後世の創作と考えられている。実際には、ロドリゴは新しい王にも仕え、1074年ごろ王の親族とされるヒメナ・ディアスと結婚した。
1081年、ロドリゴは突然、王国から追放された。アルフォンソの保護下にあったトレドの王国の領内に、許可なく攻め込んだことが理由とされるが、宮廷の政敵との争いも絡んでいたらしい。行き場を失ったロドリゴは、手勢を連れて、イスラームの王国サラゴサのフード朝に仕えた。ここで彼はアラゴン王の軍を破り、バルセロナ伯ベレンゲル・ラモン2世を捕虜にした。イスラームの王に雇われて、キリスト教の王侯と戦ったのである。「シド」は、アラビア語で主人を意味する「サイイド」から来た呼び名とされ、「カンペアドール(戦場の勝者)」の呼び名もこの頃から使われるようになった。
1085年、アルフォンソ6世はトレドの陥落を成し遂げた。古い都トレドの陥落に危機を感じたタイファの王たちは、海を越えて北アフリカのムラービト朝に助けを求めた。1086年、ムラービト朝のユースフ・イブン・ターシュフィーンが半島に渡り、サグラハスでアルフォンソの軍を大敗させた。ムラービト朝は、厳格なイスラームを掲げて西アフリカまで勢力を広げていた新興の国である(ムラービト朝のガーナ攻撃)。窮地に立ったアルフォンソは、ロドリゴを呼び戻した。だがまもなく、援軍の到着が遅れたことを責めて、ロドリゴを再び追放した。

二度目の追放の後、ロドリゴはもはや誰の家臣でもない、独立した軍の主として、東の地中海岸に勢力を広げた。1090年にはバルセロナ伯を再び破って捕らえた。バレンシアをはじめとする東部のイスラームの都市から貢納金を取り立て、その保護者となった。1092年、バレンシアでムラービト朝に通じる勢力が実権を握ると、ロドリゴは市を包囲した。長い包囲で市内は飢え、1094年6月15日、バレンシアは降伏した(エル・シドのバレンシア占領)。ロドリゴはバレンシアの君主となった。キリスト教徒でもイスラーム教徒でもない、ロドリゴ自身の国である。同じ年、取り返しに来たムラービト朝の大軍を城外のクアルテで破った。半島に渡ってきたムラービト朝の軍が野戦で喫した、初めての大きな敗北だったとされる。1097年にもバイレンで勝った。
だが同じ1097年、ただ一人の息子ディエゴが、アルフォンソ6世の軍に加わってムラービト朝と戦い、コンスエグラで戦死した。二人の娘は、ナバラの王子とバルセロナ伯ラモン・ベレンゲル3世に嫁ぎ、その血はのちにスペインの王家に流れ込んだ。1099年7月10日、ロドリゴはバレンシアで死んだ。50代半ばだった。妻ヒメナはその後も市を守ったが、1102年、アルフォンソ6世の判断で市は放棄され、火を放たれた。ヒメナは夫の遺体を携えてカスティーリャへ戻り、ブルゴス近郊のサン・ペドロ・デ・カルデーニャ修道院に葬った。二人の遺骨は1921年にブルゴス大聖堂に移された。

ロドリゴの生前から、彼の名は敵味方の双方で語られていた。同時代のイスラームの著述家イブン・バッサームは、彼を時代の災いと呼びながら、勇猛さと戦の才においては神の奇跡の一つだった、と書いている。
1200年ごろ、カスティーリャの言葉で叙事詩『わがシドの歌』が作られた。スペイン語で書かれた最古の叙事詩とされる。物語は追放から始まり、シドがバレンシアを取り、王と和解し、娘たちを嫁がせた貴族の兄弟に娘を辱められ、宮廷の裁きと決闘で名誉を回復するところで終わる。詩の中のシドは、理不尽に追放されても王への忠誠を失わない、慎み深く、家族を愛する英雄である。冒頭近く、追放されたシドを見送る人々は、主君さえ良ければなんと良い家臣であろうか、と嘆く。

史料のロドリゴは、キリスト教とイスラームの両方の王に仕え、最後に自分の国を作った戦士である。詩の英雄と史実の傭兵隊長との間には隔たりがある。それでも、のちにレコンキスタの完了へと続く国土回復の物語の中で、エル・シドはスペインの国民的英雄となった。1961年にはチャールトン・ヘストン主演の映画も作られている。