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Person / 人

道元

Dōgen
AD1200年1月26日 – AD1253年9月22日(享年53)
鎌倉幕府重要度 5

概要

内大臣の子と伝える。3歳で父、8歳で母を失った。比叡山で「本来仏なら、なぜ修行するのか」と問い、栄西の門を叩き、宋へ。天童山の如浄に「身心脱落」。帰って「只管打坐」。『正法眼蔵』。北条時頼に呼ばれて鎌倉に半年いて、寺の寄進を断って永平寺に帰った。

関わったできごと(1)

道元の永平寺AD1244年 · 開いた

本文

道元。希玄。 1200年、京。 「久我通親の子」。 「松殿基房の娘」。 1207年、母の葬儀。香の煙。「無常」。 1213年、比叡山。公円。 「本来本法性」。 建仁寺。栄西は死んでいた。明全。 1223年、明全と宋へ。 「明全は病んで、天童山で死んだ。道元が遺骨を」。 天童山の典座。「老典座」。「文字」。「弁道」。 1225年、如浄。 「身心脱落」。 「嗣書」。 1227年、帰った。 1233年、興聖寺。深草。 『正法眼蔵随聞記』。懐奘が。 「学道の人は、まず貧なるべし」。 「衣食を思うことなかれ」。 1243年、越前。 波多野義重。 大仏寺。永平寺。 1247年、鎌倉。時頼。 「時頼は寺を寄進しようと。道元は帰った」。 「玄明という弟子が、時頼の寄進状を持って帰って喜んだ。道元は追い出し、彼の座った床を削った」。 1253年、京。「病」。 高辻西洞院。 8月28日。 「五十四年、第一天を照らす。この一跳を打して、大千を触破す。ああ、渾身覓むる無し、活きながら黄泉に陥つ」。 懐奘。 永平寺。 「曹洞宗」。 「只管打坐」。 「修証一等」。 「現成公案」。 「有時」。 「山水経」。 「谿声山色」。 「渓声便ち是れ広長舌、山色豈に清浄身に非ざらんや」。蘇軾。 「一切衆生悉有仏性」を「一切は衆生なり、悉有は仏性なり」と読み替えた。 「時は飛去するとのみ解会すべからず」。 「時間は、過ぎ去るものではない」。 「有時」。 「存在と時間」。 ハイデガーの400年前でなく、700年前。 和辻。田辺元。 「日本の哲学者」。 「哲学者と呼ばれることを、彼は望まなかった」。 「彼は、ただ坐れ、と言った」。 「95巻、書いて」。