概要
内大臣の子と伝える。3歳で父、8歳で母を失った。比叡山で「本来仏なら、なぜ修行するのか」と問い、栄西の門を叩き、宋へ。天童山の如浄に「身心脱落」。帰って「只管打坐」。『正法眼蔵』。北条時頼に呼ばれて鎌倉に半年いて、寺の寄進を断って永平寺に帰った。
関わったできごと(1)
道元の永平寺AD1244年 · 開いた本文
道元。希玄。 1200年、京。 「久我通親の子」。 「松殿基房の娘」。 1207年、母の葬儀。香の煙。「無常」。 1213年、比叡山。公円。 「本来本法性」。 建仁寺。栄西は死んでいた。明全。 1223年、明全と宋へ。 「明全は病んで、天童山で死んだ。道元が遺骨を」。 天童山の典座。「老典座」。「文字」。「弁道」。 1225年、如浄。 「身心脱落」。 「嗣書」。 1227年、帰った。 1233年、興聖寺。深草。 『正法眼蔵随聞記』。懐奘が。 「学道の人は、まず貧なるべし」。 「衣食を思うことなかれ」。 1243年、越前。 波多野義重。 大仏寺。永平寺。 1247年、鎌倉。時頼。 「時頼は寺を寄進しようと。道元は帰った」。 「玄明という弟子が、時頼の寄進状を持って帰って喜んだ。道元は追い出し、彼の座った床を削った」。 1253年、京。「病」。 高辻西洞院。 8月28日。 「五十四年、第一天を照らす。この一跳を打して、大千を触破す。ああ、渾身覓むる無し、活きながら黄泉に陥つ」。 懐奘。 永平寺。 「曹洞宗」。 「只管打坐」。 「修証一等」。 「現成公案」。 「有時」。 「山水経」。 「谿声山色」。 「渓声便ち是れ広長舌、山色豈に清浄身に非ざらんや」。蘇軾。 「一切衆生悉有仏性」を「一切は衆生なり、悉有は仏性なり」と読み替えた。 「時は飛去するとのみ解会すべからず」。 「時間は、過ぎ去るものではない」。 「有時」。 「存在と時間」。 ハイデガーの400年前でなく、700年前。 和辻。田辺元。 「日本の哲学者」。 「哲学者と呼ばれることを、彼は望まなかった」。 「彼は、ただ坐れ、と言った」。 「95巻、書いて」。