『神の国』

概要
ローマが略奪されたのはキリスト教のせいだ、という非難に答えて書かれた。地上の国と神の国を分ける。
場所
36.88°N 7.75°E · アルジェリア・アンナバ
関わった人(1)
アウグスティヌスAD354年11月13日–AD430年8月28日 · 著者本文
410年8月、アラリックの率いる西ゴートの軍勢がローマ市に入り、3日にわたって略奪した(西ゴートのローマ略奪)。紀元前390年のケルト人の侵入以来、ローマが外敵の手に落ちたのは800年ぶりだった。皇帝はすでにラヴェンナに移っており、軍事的にはローマ市の価値は下がっていた。それでも、永遠の都が蛮族に踏みにじられたという知らせは、地中海世界を震わせた。遠くベツレヘムにいた聖書学者ヒエロニムスは、全世界を征服した都が征服された、と嘆く手紙を書いている。
ローマから逃れた貴族や知識人の多くは、海を渡って北アフリカへ来た。その中から非難の声が上がった。ローマはユピテルをはじめとする古い神々に守られて大きくなった。テオドシウス1世の時代に古い神々の祭りが禁じられ、キリスト教だけが認められるようになって、まだ20年も経っていない。神々を捨てたから、ローマは守られなくなったのではないか、と。

北アフリカの港町ヒッポ・レギウスの司教アウグスティヌスは、この非難に答える本を書き始めた。413年に書き始め、完成は426年。13年をかけた全22巻の大著になった。若いころマニ教や新プラトン主義を遍歴し、386年にキリスト教へ回心した彼は(アウグスティヌスの回心)、異教の哲学と文学を知りつくした人だった。
前半の10巻は、異教の側への反論にあてられている。アウグスティヌスはローマの歴史家たちの書物を引きながら、キリスト教が来る前にもローマは何度も災いに見舞われたこと、古い神々はローマを守りもしなかったし、人を善くもしなかったことを論じた。略奪のさなか、ゴート人がキリスト教の教会に逃げ込んだ人びとには手を出さなかったことも取り上げている。

後半の12巻で、彼は人類の歴史全体を、二つの「国」の物語として描き直した。自分を愛して神を軽んじる心が地上の国を作り、神を愛して自分を軽んじる心が天上の国を作った、と彼は書く。二つの国は、目に見える国家や教会とそのまま重なるわけではない。この世では二つは入り混じり、終わりの日の裁きで初めて分けられる。地上の国はカインに始まり、アッシリアやローマのような帝国として現れる。それらは栄えても、いずれ必ず滅びる。
この考え方は、キリスト教にとって大きな転換だった。コンスタンティヌスの改宗以来、ローマ帝国の繁栄を神の祝福の印とみる考え方がキリスト教徒のあいだに広がっていた。しかしそれでは、帝国が傾けば信仰も揺らぐ。アウグスティヌスは、神の国はどの地上の国家とも運命を共にしないと説くことで、キリスト教をローマ帝国から切り離した。

彼自身の最期は、その教えを試すかのようだった。429年、ヴァンダル人が北アフリカに渡り、翌年にはヒッポを包囲した。アウグスティヌスは包囲のさなかの430年8月に病で亡くなる。やがてヴァンダル人はカルタゴも奪い(ガイセリックのカルタゴ占領)、西ローマ帝国はそれから半世紀ほどで消えた。それでも教会は残り、『神の国』は修道院で書き写され続けた。
中世の西ヨーロッパで、この本は最もよく読まれた書物の一つになった。カール大帝は食事のあいだ、この本を読み聞かせられるのを好んだと、伝記作者は記している。ただし、その読まれ方はさまざまだった。地上の権力は神の国に仕えるべきだと読んで、皇帝や国王に対する教会の優位を主張する者がいた。逆に、地上の国家はそれ自身の役割を持つと読む者もいた。歴史を神の計画の中で意味のある流れとして語る見方も、この本から西洋の思想に深く根を下ろしたとされる。

帝国の没落という目の前の大事件に答えようとして書かれた本が、帝国そのものよりも長く生き、宗教と政治の関係を考えるときに繰り返し立ち返られる古典になった。