フッガーの選挙資金
概要
皇帝の位が競売のようになった。カール5世とフランソワ1世が、7人の選帝侯に金を配った。ヤーコプ・フッガーがカールに85万グルデンを貸した。カールが皇帝に選ばれた。「陛下が皇帝の位を得たのは、私なしにはあり得なかったことを、陛下はご存じです」とフッガーは後で書いた。ティロルとハンガリーの銀と銅の鉱山。金融が、帝国の位を決めた。
場所
48.37°N 10.90°E · ドイツ
関わった人(1)
ヤーコプ・フッガーAD1459年3月6日–AD1525年12月30日 · 貸した本文
神聖ローマ皇帝は、世襲ではなく選挙で選ばれる。選ぶのは七人の選帝侯で、1356年の金印勅書がその顔ぶれを定めていた。マインツ、ケルン、トリーアの三人の大司教と、ボヘミア王、ライン宮中伯、ザクセン公、ブランデンブルク辺境伯である。15世紀からは、オーストリアのハプスブルク家が続けて皇帝に選ばれていたが、それは慣例であって権利ではなかった。
1519年1月12日、皇帝マクシミリアン1世が死んだ。後継を狙って名乗りを上げたのは、マクシミリアンの孫で、スペイン王となっていた19歳のカール(カール5世)と、24歳のフランス王フランソワ1世である。イングランドのヘンリー8世も一時は色気を見せた。教皇レオ10世は、どちらが勝っても強くなりすぎることを恐れ、ザクセン公フリードリヒ賢公を推したが、本人が辞退した。
選帝侯たちは、票に値を付けた。とくに目立ったのが、マインツ大司教でブランデンブルク辺境伯の弟でもあるアルブレヒトである。彼は数年前、規則に反して複数の司教座を兼ねる許しを教皇から得るために、アウクスブルクの商人ヤーコプ・フッガーから大金を借りていた。その返済のために領内で贖宥状を売らせ、売り上げの半分はフッガーの手に渡る取り決めだった。その販売に怒ったのが、ヴィッテンベルクの修道士ルターである(95か条の論題)。選挙の資金と宗教改革の火種は、同じ商人の帳簿でつながっていた。

フランス側も大金を用意して選帝侯に働きかけていた。ハプスブルク側は、それを上回る金を、しかも確実に払えることを示さなければならない。ここで物を言ったのがヤーコプ・フッガーの信用である。フッガー家はもとは織物の商人だったが、ヤーコプの代に、ハプスブルク家への貸付と引き換えにティロルの銀山の産出を押さえ、さらにハンガリー(いまのスロヴァキア)の銅山をトゥルゾー家と組んで経営し、ヨーロッパの銀と銅の取引を握るまでになっていた。教皇庁の資金の送金も扱っていた。フッガーは、フランス王の為替手形がドイツで換金されないよう手を回したとも言われる。
カールの選挙のために動いた金は、合わせて85万グルデン余りに上った。そのうちフッガーが54万グルデン余り、同じアウクスブルクのヴェルザー家が14万グルデン余りを出し、残りをジェノヴァやフィレンツェの銀行家が負担した。金は現金だけでなく、年金の約束、官職、領地、婚姻の約束といった形で、選帝侯とその側近たちに配られた。誰にいくら渡したかは、フッガー家の帳簿に記録されて残っている。

1519年6月28日、フランクフルトで選挙が行われ、カールは全会一致で選ばれた。皇帝カール5世の誕生である。スペインとその海外領、ネーデルラント、オーストリア、そして皇帝の位がひとりの手に集まり、ヨーロッパの半分を覆う大帝国が生まれた。
ところが、返済は滞った。広すぎる帝国は戦争の連続で、金はいつも足りない。1523年4月24日、ヤーコプ・フッガーは皇帝に手紙を書いた。陛下が皇帝の位を得られたのは私なしにはありえなかったことは、誰もが知るところです。私がオーストリア家を離れてフランスに味方していれば、多くの金と財産が手に入ったでしょう。ですから、貸した金を利子とともに遅滞なくお返しいただきたい。商人が皇帝に向かって書いたとは思えないほど率直なこの手紙は、金融の力が王侯の位を左右するようになった時代の、象徴として引かれることが多い。返済は、現金ではなく、鉱山の権利や領地の収入を担保に回すことで行われた。のちにフッガー家は、スペインの騎士修道会の領地の収入や、アルマデンの水銀鉱山の経営も引き受けることになる。
ヤーコプ・フッガーは1525年12月の終わりに死んだ。残した資産は200万グルデン前後とされる。当時のヨーロッパ全体の経済の規模から見て、史上最も裕福な個人の一人だったとする現代の推計もあるが、時代の違う富を比べることには無理もある。彼は「富める者」と呼ばれた。
フッガーは信心深いカトリックでもあった。1516年、アウクスブルクに、働いているが貧しい市民のための住宅群を建て始め、1521年に寄進の証書を作った。フッゲライである。家賃は年に1ライン・グルデン、そして住む者は日に三度、創設者のために祈ること。この条件は500年後のいまも変わらず、家賃は現在のお金で年0.88ユーロである。現存する世界最古の社会住宅とされる。
同じ時代、金の力を最も激しく攻撃したのはルターだった。1520年の『キリスト教界の改善について』で彼は、フッガーやその類いの会社の口に、くつわをはめねばならないと書いた。富と信仰、帝国と市場の関係をめぐる問いは、この選挙の前後から、ヨーロッパの中心の問題になっていく。カール5世は生涯を戦争に費やし、1555年、疲れ果てて位を退いた(カール5世の退位)。そのころには、フッガー家もまた、皇帝家への貸付の焦げ付きに苦しむようになっていた。