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Event / できごと

文久の改革

Bunkyū reforms
AD1862年(文久2年)
重要度 3

概要

島津久光が千人の兵で上京し、勅使を連れて江戸に来て、幕府に人事を飲ませた。一橋慶喜を将軍後見職、松平春嶽を政事総裁職に。参勤交代を三年に一度に緩め、大名の妻子を帰した。外様が幕政を動かした最初。

場所

江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)

関わった人(2)

島津久光AD1817年12月2日–AD1887年12月6日 · 押し込んだ松平春嶽AD1828年10月10日–AD1890年6月2日 · 政事総裁職

本文

島津久光。 斉彬の弟。 藩主忠義の父。 「国父」。 藩主でも、家老でもない。 1862年3月、 藩兵千人で京へ。 「幕政改革を、 朝廷の力で」。 斉彬の遺志、 と言った。 4月、 伏見の寺田屋。 薩摩の過激派が、 京で挙兵しようとしていた。 久光は自分の側近を送って、 斬らせた。 有馬新七ら9人。 「薩摩の攘夷派」は、 藩主の父に殺された。 5月、 勅使大原重徳を伴って江戸へ。 「三事策」。 将軍上洛、 五大老の設置、 慶喜と春嶽の登用。 幕府は最初拒み、 それから飲んだ。 7月、 一橋慶喜を将軍後見職、 松平春嶽を政事総裁職。 安政の大獄で退けられた二人が、 戻った。

閏8月。 参勤交代を緩めた。 「三年に一度、 江戸に百日」。 大名の妻子を、 国元に帰してよい。 250年の制度。 江戸の人口が減った。 大名は、 江戸に金を使わなくなった。 幕府の、 大名を縛る一番の綱が、 緩んだ。 軍制改革。 洋式歩兵。 学問所。 蕃書調所を洋書調所に。 文久の改革は、 幕府の改革だが、 薩摩が押し込み、 幕府の力を削った。

8月21日、 生麦。 久光の帰り道。 横浜の手前で、 行列を横切ったイギリス人4人を、 薩摩の供が斬った。 1人死んだ。 翌年、 薩英戦争。 久光は、 その後も、 京へ、 江戸へ。 「四侯会議」。 慶喜と争い、 負けて、 薩摩へ帰った。 以後、 倒幕は、 西郷と大久保が。 久光は、 知らされなかった。

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