概要
越前福井の藩主。橋本左内と横井小楠を使い、慶喜を推して井伊に隠居させられ、文久の改革で政事総裁職に。幕府の側で公武合体を探り続けて、大政奉還のあとは新政府に入った。「幕末四賢侯」の一人。
所属
日本関わったできごと(1)
文久の改革AD1862年(文久2年) · 政事総裁職本文
松平慶永。 田安家。 御三卿。 1828年。 11歳で、 福井藩主。 養子。 「春嶽」。 号。 1838年から。 橋本左内、 横井小楠、 由利公正、 中根雪江。 「福井の、 人材」。 藩政改革。 洋式軍制。 1853年、 ペリー。 「開国」。 斉昭と、 仲が良かった。 「攘夷」と、 「開国」で。 1857年、 一橋慶喜を。 「英明な、 将軍を」。 「家定は、 病弱」。 「南紀派」。 井伊。 慶福(家茂)。 1858年、 井伊が、 大老に。 春嶽は、 不時登城。 「条約と、 将軍」。 隠居、 謹慎。 1862年、 文久の、 改革。 政事総裁職。 「幕府の、 首相」。 慶喜と。 「将軍上洛」。 「攘夷の、 期限」。 「大名の、 参勤」。 1863年、 京。 「攘夷は、 できない」。 辞めた。 「私は、 政治から、 離れる」。 福井へ。 1864年、 参預会議。 慶喜、 久光、 容堂、 宗城、 春嶽。 「横浜鎖港」で、 崩れた。 1867年、 四侯会議。 慶喜に、 負けた。 大政奉還。 王政復古。 小御所会議。 「慶喜の、 辞官納地に、 反対」。 容堂と。 岩倉に、 押し切られた。 新政府。 「議定」。 「内国事務総督」。 「民部卿」。 「大蔵卿」。 1870年、 辞めた。 1890年、 死んだ。 62歳。 「幕末四賢侯」。 「春嶽、 容堂、 宗城、 斉彬」。 「四人とも、 幕府を、 残そうとした」。 「四人とも、 幕府を、 壊す、 側に、 回った」。 「四人とも、 維新で、 何も、 できなかった」。 春嶽。 『逸事史補』。 「私は、 政治に、 向いていない」。 自分で、 書いた。 「私は、 人を、 用いることは、 できた」。 左内、 小楠、 由利。 「福井の、 三人」。 「由利公正が、 五箇条の、 御誓文の、 原案を」。 「小楠が、 教えた」。 「左内が、 死んだ」。 「三人とも、 春嶽が」。