概要
大坂の陣の2か月後、伏見城で秀忠の名で13か条。文武弓馬の道、城の修理は届け出、新しい城は禁止、無断の婚姻は禁止、大名の交際は禁止。金地院崇伝が起草した。同時に一国一城令で大名の城を一つに。1635年、家光が参勤交代を加えた。将軍が代わるたびに読み上げた。260年の大名統制の憲法。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(2)
徳川家康AD1543年–AD1616年 · 作らせた徳川秀忠AD1579年5月2日–AD1632年3月14日 · 名で本文
大坂の陣の2か月後、1615年7月7日、伏見城。将軍秀忠が大名を集めて、崇伝が13か条を読んだ。家康が命じ、崇伝が起草した。
一、文武弓馬の道に励め。 一、酒と色遊びを慎め。 一、法に背く者を国に隠すな。 一、反逆者と殺人者を国から追え。 一、他国の者を国に置くな。 一、城を修理するときは届け出ろ。新しい城は禁止。 一、隣国に新しいことや徒党があれば報告しろ。 一、幕府の許可なく結婚するな。 一、参勤の作法。行列を大げさにするな。 一、衣服の分限。 一、乗り物の分限。 一、武士は倹約せよ。 一、国主は政務のできる者を選べ。
その1か月前に一国一城令。大名の城は本城一つ。他は壊せ。400の城が壊された。
秀忠、家光(1635年、参勤交代を加え、500石以上の船を禁じた)、家綱、綱吉(1683年、殉死の禁止と末期養子を加えた)、家宣(1710年、新井白石が儒教的に書き直した)、吉宗(1717年、家光のものに戻した)。将軍が代わるたびに大名を集めて読んだ。
違反は改易。福島正則は広島城を無断で修理して1619年に改易された。50万石。本多正純、加藤忠広。家康から家光までの50年で、外様大名82家が改易された。
大名は、この13か条の中で、260年生きた。