概要
パディントンからファリンドン・ストリートまで6キロ。世界初の地下鉄。掘割を掘って蓋をする「開削工法」。蒸気機関車が走ったので、煙が充満した(換気口を開け、機関車は自分の煙を水槽に溜める仕組みを積んだ。それでも息苦しかった)。初日に4万人。1890年、電化された最初の深い地下鉄(シティ・アンド・サウス・ロンドン線)。都市が、垂直に広がり始めた。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
1850年代のロンドン。人口250万。世界最大の都市。市の中心(シティ)に、朝、20万人が徒歩と乗合馬車で入り、夕方に出た。道が詰まった。鉄道の終着駅は、市の外側に環状に並んでいた(パディントン、ユーストン、キングズ・クロス)。市の中心に線路を引くことは、土地の値段と、建物の密度で、不可能だった。
チャールズ・ピアソン。シティの法務官。1840年代から「地下の鉄道」を提案し続けた。彼の動機は、交通渋滞の解消と、貧民街(スラム)の住民を郊外へ移すこと。彼は開通の前年に死んだ。
メトロポリタン鉄道。1854年に議会の認可。資金難で着工が遅れ、1860年から。
工法。「開削(カット・アンド・カバー)」。道路を掘り下げ、側壁を作り、線路を敷き、上に煉瓦のアーチをかけて、道路を戻す。ユーストン・ロードとファリンドン・ロードの下を通した。家を1000戸以上、取り壊した(住んでいたのは主に貧しい人々で、移転の補償はほとんどなかった)。フリート川(既に暗渠になっていた地下の川)が工事中に決壊して、掘割を水浸しにした。
1863年1月10日、開業。パディントン(ビショップス・ロード)からファリンドン・ストリートまで、6キロ、7駅。
初日、乗客3万8000人(4万とも)。1年で950万人。
問題は煙。蒸気機関車が地下を走る。ダニエル・グーチが設計した機関車は、煙を煙突から出さずに、水槽に通して凝縮させる仕組み(コンデンシング装置)を積んだ。それでも、駅と換気口の周りは煙と蒸気で満ちた。
当時の証言。「トンネルの空気は、硫黄と、石炭の煙と、蒸気の混ざったもので、目がちくちくする」。鉄道会社は「この空気は喘息に効く」と宣伝した。
客車。三等は、初め屋根のない車両だった。ガス灯(車両の屋根に袋を載せた)。
1868年、地区鉄道(ディストリクト)。1884年、内回りの環状線(サークル線)が完成。
深い地下鉄。1870年、タワー・サブウェイ(テムズの下。シールド工法。ケーブルで客車を引いた。すぐ廃止されて歩行者用トンネルに)。1890年12月、シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道。深いトンネル(チューブ)を、シールド工法で掘り、電気機関車で走らせた。世界初の、深部を走る電気地下鉄。窓が小さく(「見るものがないから」)、乗客が「詰め込まれた箱」と呼んだので「パッド・ボックス」。
その後。1900年、セントラル線(「トゥーペニー・チューブ」。均一運賃2ペンス)。1906年、ベーカールー線とピカデリー線。1908年、「UNDERGROUND」の名称と、丸に横棒のロゴ(ラウンデル)の統一。1913年、エドワード・ジョンストンの書体。1931年、ハリー・ベックの路線図(電気回路図から発想した、地理を無視して線を45度と90度だけで描く図。「これは地図ではない」と一度は却下された。いまも世界中の路線図がこの方式)。
第二次大戦中、駅が防空壕になった(政府は当初、禁じた。人々が切符を買って構内に降り、そのまま寝たので、認めざるを得なくなった。最大で17万人)。
いま、11路線、272駅、402キロ。年に13億人。
1863年に始まったこの穴が、都市というものの形を変えた。人が、地面の下を通って、離れた場所に住み、離れた場所で働けるようになった。郊外(サバーブ)が生まれ、都市が広がった。ロンドンの北西の郊外は、メトロポリタン鉄道が自ら土地を買って開発したので、「メトロランド」と呼ばれた。