概要
生麦事件の報復。鹿児島は焼かれたが、薩摩は攘夷の不可能を悟り、英国に接近していく。
場所
鹿児島
31.60°N 130.56°E · 日本・鹿児島県(薩摩藩の城下町)
31.60°N 130.56°E · 日本・鹿児島県(薩摩藩の城下町)
本文
イギリス艦隊7隻が鹿児島湾に入り、砲撃戦になった。 台風のさなかで、双方に損害が出ている。 イギリス側は艦長を含む死傷者を出し、 鹿児島の市街は焼けた。
薩摩は負けを認めて賠償に応じたが、 そこから先が普通ではなかった。 戦った相手に、軍艦の斡旋と留学生の受け入れを頼んだ。
攘夷が不可能だと分かった以上、 早く同じ武器を持つほうが早い、という切り替えになる。 2年後には19人の留学生を密かにイギリスへ送っている。
長州も翌年、同じ経験をして同じ結論に達する。 攘夷を叫んでいた二つの藩が、 実際に撃たれたことで開国側に回った。