概要
1944年9月5日、ドイツに占領されてロンドンに逃れていたベルギー、オランダ、ルクセンブルクの亡命政府は、戦争が終わったら三国のあいだの関税をなくし、外に向けては同じ関税をかけるという協定に署名した。三国の頭文字を合わせて「ベネルクス」と呼ばれる。同盟は1948年に動き出した。大国にはさまれ、二度の大戦で中立を踏みにじられた小国が、まとまることで生き延びようとする試みだった。三国はそのまま、1951年の石炭と鉄鋼の共同体、1957年のローマ条約に加わり、ヨーロッパの統合の先がけになった。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
ベルギー、オランダ、ルクセンブルクは、どれも大国にはさまれた小国である。ベルギーとルクセンブルクは、すでに1921年に、通貨と関税を共にする経済の同盟を結んでいた。二度の大戦で、三国はいずれも中立を宣言しながら、ドイツに踏みにじられた。
第二次世界大戦の間、三国の政府はロンドンに亡命していた。戦後の再建を考えるなかで、ベルギーの外相ポール=アンリ・スパークらは、小さな国がばらばらでいる弱さを痛感していた。1944年9月5日、三国の亡命政府は、ロンドンで関税の協定に署名した。三国のあいだでは関税をかけず、外から入る品には同じ関税をかける。三国の名の頭を合わせて、のちに「ベネルクス」と呼ばれる。
協定は戦後の混乱で遅れ、1948年1月1日に動き出した。1958年には、人と資本と役務の行き来まで自由にする経済の連合の条約が結ばれた。小国の試みだったが、国境をまたいで市場を一つにするという考えを、実際に動かしてみせた。
三国は、1951年の石炭と鉄鋼の共同体、1957年のローマ条約で、フランス、西ドイツ、イタリアとともに六か国の創設国になった。スパークはローマ条約をまとめる委員会を率いた。ヨーロッパ連合の機関がブリュッセルやルクセンブルクに置かれ、国境の検問をなくすシェンゲン協定がルクセンブルクの村で結ばれ、通貨統合を決めたマーストリヒト条約がオランダの町で結ばれたのは、偶然ではない。