概要
遼の王族耶律大石が西へ逃げて建てた西遼(カラ・キタイ)が、サマルカンドの北でセルジューク朝のサンジャルを破った。イスラームの軍が東の異教徒に負けた。ヨーロッパに「東方のキリスト教の王が来る」と伝わり、プレスター・ジョンの伝説になった。
場所
39.80°N 66.90°E · ウズベキスタン・サマルカンド近郊
関わった人(1)
耶律大史AD1087年–AD1143年 · 勝った本文
1124年。遼が終わる。 耶律大石。 「西へ」。 「モンゴル高原。可敦城」。 「7つの州、18の部族」。 「グルカン」。「世界の汗」。 1131年。 「イスラーム世界の東の縁」。 1134年、バラサグン。「カラハン朝の東が、彼に、街を渡した」。 「西遼」。「カラ・キタイ」。「黒い契丹」。 1137年、ホジェンド。「カラハン朝の西を破った」。 「サマルカンド」。 「カラハンのマフムード2世が、セルジュークのサンジャルに」。 サンジャル。「セルジュークの最後の大スルタン」。ホラーサーン。 「イスラームの全軍。10万」。 「ガズナ。ホラズム。ホラーサーン。シスターン」。 1141年9月9日。 カトワーン。サマルカンドの北の草原。 「ディルガム川」。 「耶律大石は、軍を三つに」。 「サンジャルの左翼と右翼を、先に」。 「囲んだ」。 「3万」。 「サンジャルの妻が、捕えられた」。 「サンジャルは、逃げた」。 「ペルシアの詩人は、『これほどの敗北は、イスラームの歴史になかった』」。 「異教徒に」。 「イブン・アル・アシール」。 「西遼は、サマルカンドとブハラを取った。ホラズムを臣従させた」。 「仏教徒の王が、イスラームの街を治めた」。 「税を取っただけ。改宗は求めなかった」。 1143年。耶律大石が死んだ。 「88年」。 「1211年、ナイマンのクチュルクが乗っ取った」。 「1218年、モンゴル」。 「ヨーロッパ」。 1145年。「フライジングのオットー。『ペルシアとメディアの向こうに、ヨハネスという王がいて、ネストリウス派のキリスト教徒で、ペルシアを破った』」。 「プレスター・ジョン」。 「エルサレムを助けに来る」。 「来なかった」。 「1165年、『プレスター・ジョンの手紙』。偽物」。 「1245年、プラノ・カルピニがモンゴルへ。『プレスター・ジョンを探しに』」。 「300年」。 「エチオピアの王に」。 「ポルトガルが、探しに行った」。 「カトワーンの、仏教徒の契丹人が」。 「キリスト教の王に」。 「ヨーロッパの中で」。