概要
黒太子がフランス王ジャン2世を捕虜にした。王はロンドンに連れて行かれ、身代金は300万エキュ、フランスの二年分の歳入。息子が人質を逃がすと、王は自分で戻って、ロンドンで死んだ。
場所
46.58°N 0.34°E · フランス
関わった人(1)
エドワード黒太子AD1330年6月15日–AD1376年6月8日 · 勝者本文
1355年、黒太子はボルドーから南フランスを荒らした。 シュヴォシェ。 騎行。 村を焼く。 1356年8月、また北へ。 ロワールへ。 ジャン2世が追った。 9月、ポワティエの南。 黒太子は6000から7000。 フランス、1万以上。 枢機卿タレーランが日曜に休戦を仲介した。 黒太子はその間に陣を整えた。
9月19日。 垣根と葡萄畑と沼。 フランスの騎士が馬で襲い、 長弓が馬を射た。 ジャン2世は歩兵で来た。 騎士に馬を降りさせて。 クレシーで学んだ。 三つの隊。 最初の隊が退き、 第二の隊(オルレアン公)が戦わずに退き、 第三の隊、王自身。 黒太子はガスコーニュのカプタル・ド・ビュシュに 騎兵で回り込ませた。 王は囲まれた。 14歳の息子フィリップが「父上、右、父上、左」と叫んだ、と。 「勇敢公」の名の起こり。 王は手袋を渡して降伏した。 「私の従兄弟の王子に」。 騎士たちが手柄を争って王を引っ張った。
黒太子は王を夕食に招き、 自分で給仕した。 「私はあなたの捕虜ではなく客」。 ボルドーへ、 1357年5月、ロンドンへ。 白馬で、 黒太子は黒い小馬で後ろから。 サヴォイ宮殿。 ジャンは狩りと宴。
1360年、ブレティニー条約。 300万エキュ。 アキテーヌ、ポワトゥー、カレー。 王は釈放され、 人質が残された。 1363年、息子アンジュー公ルイが人質から逃げた。 ジャンは「名誉」と言ってロンドンに戻り、 1364年4月、サヴォイで死んだ。 イングランドで葬儀をして、サン・ドニへ。
パリでは、その間に、 エティエンヌ・マルセルが三部会を動かし、 ジャックリーが起き、 シャルル皇太子が逃げて戻り、 王を買い戻す税を集めた。 「ジャックリー」も「エキュ」も「フラン」も、 この身代金の周りで生まれた。 「フラン」は「自由な」。 王を自由にするための金貨。