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Event / できごと

コソヴォの戦い

Battle of Kosovo
AD1389年6月15日
重要度 4

概要

セルビアのラザル公とオスマンのムラト1世が、両方とも死んだ。ムラトは天幕でセルビアの騎士に刺され、ラザルは捕えられて斬られた。セルビアは属国になり、この日を600年語り続ける。

場所

コソヴォの野
42.64°N 21.10°E · コソボ

関わった人(1)

バヤズィト1世(雷帝)AD1360年–AD1403年3月8日 · その場で即位

本文

ラザル・フレベリャノヴィチ。 セルビアの公。 ドゥシャンの帝国が崩れたあとの、 一番大きな断片。 1371年、マリツァでオスマンがセルビアの南の貴族を潰し、 1386年、ムラト1世がニシュを取った。 ラザルはボスニア王トヴルトコと、 ブランコヴィチと、 アルバニアの諸侯と、 軍を集めた。 1万2000から2万。 ムラトは2万7000から4万。 息子バヤズィトとヤクブ。

6月15日、聖ヴィトゥスの日。 ヴィドヴダン。 コソヴォ・ポリェ。 「黒い鳥の野」。 プリシュティナの北西。

ミロシュ・オビリッチ。 戦いの前、あるいは途中で、 裏切り者を装ってオスマンの陣に入り、 ムラトの天幕で、 王の足に口づけする振りをして、 短刀で刺した。 伝説。 ムラトが戦いの中で死んだことは確か。 バヤズィトはその場で、 弟ヤクブを天幕に呼んで絞めさせ、 スルタンになった。 ラザルは捕えられ、 斬られた。

どちらが勝ったか。 両方の君主が死んだ。 セルビア側は、 西欧に「勝利」と伝えた。 フィレンツェがトヴルトコを祝った。 オスマンは、翌年、また来た。 ラザルの息子ステファンは属国になり、 娘オリヴェラはバヤズィトの妻に。 1402年、アンカラで、 ステファンはバヤズィトの側で戦った。

「コソヴォの誓い」。 戦いの前夜、 ラザルは天使から選択を示された。 地上の王国か、天の王国か。 天の王国を選んだ。 だから負けた。 だから聖人。 セルビアの叙事詩。 「ラザルの晩餐」。 「コソヴォの乙女」。 「ミロシュとヴーク・ブランコヴィチ」。 ブランコヴィチは裏切り者にされた。 史実ではない。

1389年6月28日(ユリウス暦の6月15日)。 1914年6月28日、サラエヴォ。 ガヴリロ・プリンツィプ。 1989年6月28日、600年。 ミロシェヴィッチがコソヴォ・ポリェで100万人に演説した。 「6世紀後、我々はまた戦っている」。 2008年、コソボが独立を宣言した。 セルビアは認めていない。

出典(1)

サミュエル・P・ハンチントン(鈴木主税 訳) 文明の衝突第III部(断層線での戦争)

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