概要
石橋山で負けた頼朝が房総で兵を集め、鎌倉に入り、富士川で平維盛の追討軍と向かい合った。夜、水鳥が一斉に飛び立った音を夜襲と思って平家が逃げた、と『平家物語』。頼朝は追わずに鎌倉へ帰った。東国を固めることを選んだ。
場所
35.16°N 138.63°E · 静岡県
関わった人(1)
源頼朝AD1147年–AD1199年 · 勝った本文
1180年8月17日。頼朝。伊豆。山木兼隆を襲った。 8月23日。石橋山。大庭景親3000。頼朝300。負けた。 「梶原景時が、洞に隠れた頼朝を、見逃した」。 8月28日。真鶴から船で安房。 9月。千葉常胤、上総広常。2万。 10月6日。鎌倉。 「源氏の館は、ここに」。 平家。平維盛。23歳。「重盛の子」。 9月22日、京を出た。「7万騎」。実際は数千。 「途中で兵を集めるつもりが、集まらなかった」。 「駿河の橘遠茂と長田入道は、甲斐源氏に潰されていた」。 10月18日。富士川。 西岸に平家。東岸に頼朝と武田信義。 10月20日夜。 「武田が、沼の裏から回ろうとして、水鳥が」。 「数万の羽音」。 「平家は、敵の夜襲だと」。 「逃げた」。 『吾妻鏡』。『平家物語』。 「本当かどうか」。 「平家は、兵が少なく、飢饉で食糧がなく、初めから引くつもりだった」。 「京では『鳥の羽音で逃げた』と笑われた」。 10月21日。頼朝は「追って京へ」。千葉常胤、三浦義澄、上総広常が「まず東国を」。 「常陸の佐竹が、まだ」。 黄瀬川。 「奥州から、義経」。 「兄弟が、初めて会った」。 「頼朝は、鎌倉へ」。 11月、佐竹を潰した。 「東国」。 1181年。養和の飢饉。 「西国が飢えて、東国は」。 「戦争は3年止まった」。 1183年、義仲が京へ。 1184年、頼朝の軍が京へ。範頼と義経。 「頼朝は、鎌倉から動かなかった」。 「富士川で、追わなかったことが、鎌倉幕府」。 「京へ行けば、平家の代わりに、京の武士になった」。 「行かなかった」。 富士川。「富士川町」。 「水鳥の碑」。 「平家越」。