概要
それまで、家畜は雄と雌を一緒に放しておくものだった。レスターシャーの農民ロバート・ベイクウェルは、雌雄を分けて飼い、目的の形質を持つものだけを掛け合わせた。近親交配も辞さない。目的は「早く太る羊」である。ニュー・レスター種は、従来の半分の期間で市場に出せた。彼は優れた種雄を売らずに貸し出し、一季節で高額の料金を取った。羊の平均重量が数十年で倍になった。ダーウィンは『種の起源』の冒頭で、この人為選択を、自然選択を説明する導入に使った。
場所
52.79°N -1.21°E · イギリス・レスターシャー
関わった人(1)
ロバート・ベイクウェルAD1725年5月23日–AD1795年10月1日 · 育てた本文
**それ以前の家畜**。
18世紀前半のイングランドの農村で、家畜の飼い方は、こうだった。
**共有地(コモン)に、雄と雌を一緒に放す**。
誰の雄がどの雌と交配したか、分からない。記録もない。
結果として、家畜は「その地域にいるもの」の平均に落ち着く。改良は、偶然と、ゆっくりした淘汰に任される。
当時の羊は、**痩せていて、成長が遅かった**。羊の主な用途は**羊毛**であり、肉は副産物である。市場に出せる大きさになるまで、**4年**かかった。
牛は、**役畜**である。犂を引き、荷車を引く。肉になるのは、働けなくなってからである。だから、脚が長く、骨太で、肉の付きが悪い。
**ロバート・ベイクウェル**。
1725年、レスターシャーの**ディシュリー**の借地農の家に生まれた。
若い頃、彼はヨーロッパ大陸とイングランド各地を旅して、農法を観察した。オランダの牧草地の灌漑、各地の家畜。
1760年頃、父の死とともに、農場を継いだ。
**方法**。
彼が持ち込んだのは、単純だが、当時としては異例のことだった。
**(1)雌雄を分けて飼う**。
放し飼いをやめ、雄と雌を別々の囲いに入れる。
**交配を、人が決める**。
**(2)目的を、一つに絞る**。
彼が求めたのは、「**早く太る羊**」である。
羊毛の質でも、頑健さでも、繁殖力でもない。**肉が、早く、多く付くこと**。
(当時、産業革命で都市の人口が急増しており、**安い肉の需要**が急速に伸びていた。彼は、市場を見て目的を決めた。)
**(3)近親交配(インブリーディング)**。
彼は、**親子、兄妹の交配を、ためらわなかった**。
(当時、これは道徳的にも農学的にも忌避されていた。「近親相姦」という語で非難された。)
理由。求める形質を**固定する**には、近い血縁を掛け合わせるのが速い。
(代償として、繁殖力の低下と、体質の弱さが出た。彼のニュー・レスター種は、後に、その点で批判される。)
**(4)記録**。
彼は、個体ごとに記録を取った。血統、成長、肉付き。
そして、**屠殺した個体の骨格を保存した**。彼の農場には、骨と、アルコール漬けの標本の陳列室があった。
「良い個体」がどういう骨格を持つかを、目で確かめる。
**(5)進捗の評価**。
彼は、飼育の途中で、**手で触って肉付きを判定する**技術を体系化した。背中、肋、腰。いまも家畜の審査で使われる部位である。
**ニュー・レスター種(ディシュリー・レスター)**。
彼が作り出した羊。
- 胴が太く、脚が短い。 - **骨が細く、肉の割合が高い**。 - 成長が速い。**2年**で市場に出せる(従来の半分)。 - 脂肪が多い(当時、脂肪は貴重なカロリー源であり、灯火用の獣脂としても売れた)。
**数字**。
スミスフィールド市場(ロンドン)の記録による、平均枝肉重量の推移(この数字自体には、後の研究で誇張が指摘されているが、大幅な増加があったことは確かである)。
- 羊:1710年 約13kg → 1795年 約36kg - 牛:1710年 約170kg → 1795年 約360kg
(ベイクウェル一人の功績ではない。飼料作物〈カブとクローバー〉の導入、囲い込みによる牧草地の改良、そして他の育種家の仕事が重なっている。)
**商法**。
これも、彼の発明である。
彼は、優れた**種雄を、売らなかった**。
**貸した**。一季節ごとに、料金を取って。
(羊の種雄の貸出料。1760年、1シーズン17シリング6ペンス。1789年、**1頭で400ギニー**。ある年、彼は一頭の雄羊「トゥー・パウンダー」から、1シーズンで1200ギニーを得た。)
売ってしまえば、買い手がそれを繁殖させて、彼の独占が崩れる。貸せば、**遺伝資源を手放さずに、継続的な収入が得られる**。
(現代の育種会社と、種苗会社の商法と、同じ構造である。)
1783年、彼は「**ディシュリー協会**」を作った。彼の羊を借りる農家の組織。会員以外への貸出を制限し、価格を維持した。
**その他**。
- **牧草地の灌漑**。水路を引いて、冬に水を張る。地温が保たれ、春の草の出が早まる。 - **家畜の穏やかな扱い**。彼は、家畜を叩くことを禁じた。訪問者が、彼の巨大な雄牛が子どもの手で引かれているのを見て驚いた記録がある。 - **輸送**。彼は、家畜を市場へ運ぶための運河の建設を支持した。
**訪問者**。
彼の農場は、名所になった。
ヨーロッパ中の農学者、地主、そして王族が見学に来た。ロシアの皇族、フランスの視察団。
農学者**アーサー・ヤング**が、彼の農場を訪ねて詳しく報告し、その名を広めた。
**ダーウィン**。
**『種の起源』**(1859年)の**第1章**は、「**飼育栽培のもとにおける変異**」である。
自然選択を論じる前に、ダーウィンは**人為選択**から始める。
なぜか。読者に、**選択によって形が変わる**ということを、まず納得させるためである。
彼は書いている。
「育種家の技術における力の鍵は、**選択**である。……**優れた育種家は、羊の群れを見て、自分が求める形をはっきりと心に持ち、それに向かって選び続ける**」。
そして、ベイクウェルの名を挙げている。
「ベイクウェル氏が改良したレスター種の羊……**その形は、彼の生きているうちに、大きく変えられた**」。
(ダーウィンは、鳩の育種を自分でも行った。ロンドンの鳩の愛好家の会に入り、多数の品種を飼って、その骨格を比較した。すべての家鳩が、一種のカワラバトから作られたことを示すためである。)
つまり——**人が数十年でこれだけ変えられるなら、自然が数百万年でどれほど変えられるか**。
これが、『種の起源』の出発点である。
**その後**。
- 育種は、19世紀に体系化された。血統書、品種団体、品評会。 - 1900年、**メンデルの法則の再発見**。それまで、育種は経験と勘の技術だった。ここから、遺伝の法則に基づく理論的な育種が始まる。 - 20世紀、統計的な育種(フィッシャー、ライトの集団遺伝学)。**推定育種価**。 - 1980年代以降、遺伝子マーカー選抜。 - 現在、ゲノム編集。
**そして、代償**。
極端な選択は、代償を伴う。
- **ホルスタイン**の乳量は、1950年から3倍以上になった。同時に、繁殖障害、跛行、代謝疾患が増えた。 - **ブロイラー**は、成長が速すぎて、脚が体重を支えられない個体がいる。 - **豚**の赤身率の追求が、ストレス感受性の遺伝子(ハロセン遺伝子)を広げた。 - 犬の品種の多くが、遺伝性疾患を抱えている。
**ベイクウェル**。
生涯、独身だった。
彼の農場は繁盛したが、彼は貸出料をしばしば低く抑え、訪問者をもてなし、そして農業への投資を続けた。晩年、借金を抱えた。
1795年、死去。70歳。
彼は、自分の羊が「ディシュリー・レスター」として、イギリスからオーストラリア、ニュージーランド、北米へ広がるのを見なかった。
いま、世界中の羊の品種の多くに、彼の羊の血が入っている。