概要
ラッイの十二イマーム派の家。17歳でイスマーイール派に。カイロへ。1090年、アラムートを金で買って、35年出なかった。「家の外に二度出た。屋根に上るために」。息子二人を処刑した。ワインを飲んだ罪と、殺人の罪で。「ダアワ・ジャディーダ」。フィダーイー。オマル・ハイヤームとニザームルムルクの同級生という話は作り話。
関わったできごと(1)
アラムートのニザール派AD1090年 · 城を取った本文
ラッイ(テヘランの南)。十二イマーム派の家。17歳のとき、イスマーイール派の宣教師に会って、悩んで、病気になって、改宗した。1076年、エジプトへ。ファーティマ朝のカイロで、3年。宰相バドル・アル・ジャマーリーと合わず、追放され、船が難破して、シリア経由でペルシアに帰った。
9年、ペルシアを回って布教した。ダイラム。カズヴィーン。1090年、アラムートを取った。城主を改宗させ、城の中に人を入れ、城主に3000ディナールの手形を渡した。城主はそれを紙切れだと思って、イスファハーンで換金できて驚いた、と言う。
35年、城から出なかった。家からも出なかった。2回、屋根に上っただけ。妻と娘を他の城に送り、「私は女のいる所で仕事はしない」。息子ウスタード・フサインを、ダーイー(宣教師)の殺害に関与した罪で処刑した。もう一人の息子ムハンマドを、酒を飲んだ罪で処刑した。
教義。「タアリーム(教え)」。理性だけでは神を知れない。権威ある教師(イマーム)の教えが要る。ガザーリーが『バーティニー派の恥辱』でこれを論駁した。
フィダーイー。1092年、ニザームルムルク。ファーティマ朝のカリフ・アーミル(1130年)、ムスタルシド(1138年)、トリポリのレーモン2世、モンフェラのコンラード(1192年)。
「オマル・ハイヤームとニザームルムルクと同級生で、出世したら助け合うと誓った」という話は、フィッツジェラルドが『ルバイヤート』の序で広めたが、年齢が合わない。作り話。
1124年、アラムートで死んだ。後継はブズルグ・ウンミード。教団は1256年まで。