概要
大老として勅許を待たず通商条約を結び、反対派を弾圧した。桜田門外で暗殺される。
関わったできごと(3)
日米修好通商条約1858年7月29日(安政5年6月19日) · 決断安政の大獄1858年 · 主導桜田門外の変1860年3月24日(安政7年3月3日) · 暗殺された本文
彦根藩主の十四男で、部屋住みとして 15年を茶と国学の勉強に費やした。 藩主になる見込みは無かった。
大老として、二つの難題を同時に処理した。 勅許を待たない条約調印と、将軍継嗣の決定である。 どちらも待てば決まらないという判断だった。
反対派を安政の大獄で処分した。 死罪8人、その他百人以上。 吉田松陰もここで死んでいる。
2年後、雪の桜田門外で斬られた。 彼を殺した者たちの主張は攘夷だったが、 その8年後に成立した政府は開国を続けた。
条約を結んだこと自体は、後から見れば避けられなかった。 勅許を待たなかったことが、命取りになった。