フワーリズミーの代数

概要
知恵の館の学者が『ジャブルとムカーバラの計算の書』を書いた。「ジャブル」は移項(負の項を反対側へ移す)、「ムカーバラ」は同類項の整理。二次方程式を6つの型に分けて、幾何の図で解を証明した。記号はなく、全部が言葉で書かれている。ラテン語訳の題「アルジェブラ」が代数の名になり、彼の名前のラテン読み「アルゴリトミ」が算法(アルゴリズム)の語源になった。
場所
33.32°N 44.37°E · イラク
関わった人(1)
フワーリズミーAD780年頃–AD850年頃 · 書いた本文
9世紀の初め、アッバース朝の都バグダードは、世界でも指折りの学問の都だった(アッバース革命)。カリフのマームーン(在位813〜833年)は、ギリシア語、ペルシア語、サンスクリット語の学術書を集めてアラビア語に訳させ、学者たちを宮廷に招いた。その拠点が「知恵の館」と呼ばれる機関である(バグダードの知恵の館)。ユークリッドの幾何学、プトレマイオスの天文学、インドの天文表と数の書き方が、ここで一つの言葉に集められた。
その学者の一人が、ムハンマド・イブン・ムーサー・アル=フワーリズミー(フワーリズミー)である。名前の最後の部分は、アラル海の南、いまのウズベキスタンのあたりにあったホラズムの出身であることを示す。780年頃に生まれ、850年頃に没したとされるが、生涯について分かることはそれ以上ほとんど無い。

820年代頃、彼は一冊の本をマアムーンに献じた。『ジャブルとムカーバラによる計算の簡約の書』である。序文で彼は、この本を、人々が遺産の分配や遺言、商売や土地の測量、運河の掘削などで日々必要とする計算のために書いたと述べている。書名の二つの言葉は、方程式を整える二つの手順を指す。ジャブルは、もとは折れた骨を元に戻すことを意味する言葉で、式の一方にある引き算の項を、両辺に同じものを足して消すことをいう。ムカーバラは向かい合わせることで、両辺に同じ種類の項があれば差し引いてまとめることをいう。
フワーリズミーは、扱う量を三種類に分けた。未知の数の平方(マール)、未知の数そのもの(根、ジズル)、そしてただの数である。当時はまだ負の数を答えとして認めず、係数もすべて正で考えたので、一次と二次の方程式は六つの型に分かれる。平方が根に等しい、平方が数に等しい、根が数に等しい、平方と根が数に等しい、平方と数が根に等しい、根と数が平方に等しい。彼はそれぞれの型について、解き方を手順として示し、さらにその正しさを図形で証明した。

有名な例がある。平方と10の根が39ディルハムに等しいとき、その平方はいくつか。いまの記号で書けば x²+10x=39 である。フワーリズミーは、根の数10を半分にして5、それを自分自身に掛けて25、それを39に足して64、その根の8から5を引いて3、これが求める根で、平方は9だと答える。そしてこれを図で確かめる。一辺が未知の数の正方形を描き、その二辺に、幅5の長方形を一つずつ付け足す。できたL字の形の面積が39である。欠けている角に5かける5の小さな正方形を補えば、全体は面積64の大きな正方形になり、その一辺は8。そこから5を引けば、もとの正方形の一辺3が出る。数の手順と図形の証明が、ぴったり重なっている。
この本には、記号が一つも出てこない。すべてが言葉で書かれ、数字さえ文字で綴られている。xやイコールの記号が使われるようになるのは、ヨーロッパの16世紀以降のことである。それでも、個々の問題を解く工夫を集めるのではなく、方程式をいくつかの型に分け、それぞれを決まった手順で解くという考え方は、代数という学問の出発点になった。本の後半の多くは実用の問題に充てられ、とくに遺産の分配の計算に大きな紙幅が割かれている。イスラームの相続法は、相続人ごとに分け前の割合が細かく決まっていて、分数の計算が複雑になるからである。
フワーリズミーは、インドから伝わった数の書き方を紹介する本も書いた。0から9の十の記号と、位取りによって、どんな大きな数でも書け、紙の上で筆算ができる(ブラーマグプタのゼロ)。アラビア語の原本は失われたが、12世紀のラテン語訳が残っていて、その書き出しは「アルゴリズミはこう言った」と始まる。著者の名がなまったこの言葉は、やがてこの計算法そのものを指すようになった。中世のヨーロッパでは、ローマ数字と計算盤を使う人々と、筆算を使う人々が張り合ったが、最後に勝ったのは筆算だった。ピサのフィボナッチの『算盤の書』(フィボナッチ『算盤の書』)も、その普及に大きな役割を果たしている。アルゴリズムという言葉は、いまでは、問題を解くための決まった手順全般を指す。
代数の本は、12世紀にスペインでラテン語に訳された。イングランド出身のチェスターのロバートが1145年に訳し、トレドで多くの翻訳をしたクレモナのジェラルドも訳している。アラビア語の書名の「アル・ジャブル」は、ラテン語でアルゲブラとなり、それが代数を意味する言葉として、いまも世界中の言語に残っている。
フワーリズミーの仕事は数学にとどまらない。クラウディオス・プトレマイオスの『地理学』をもとに、2400を超える地点の緯度と経度を表にした地理書を書き、プトレマイオスが大きく見積もりすぎていた地中海の東西の長さを改めた。天文表を作り、日時計や天体観測の器具アストロラーベについても書いている。マアムーンは地球の大きさを測る事業を行わせたが、フワーリズミーがそれにどこまで関わったかは分かっていない。
方程式を型に分けて解くという彼のやり方は、のちのイスラーム世界の数学者たちによって三次方程式へと押し広げられ、ルネサンスのイタリアで再び大きく花開く。いま中学校で二次方程式を解くとき、私たちは知らず知らずのうちに、1200年前のバグダードの学者の手順をたどっている。