人物

沈括

Shen Kuo
AD1031年 – AD1095年(享年64・推定)
宋重要度 3

概要

官僚として各地を回り、見聞きしたことを『夢渓筆談』に書いた。磁針が真北を指さないことを、世界で最初に記録している。

所属

宋

関わったできごと(1)

『夢渓筆談』AD1088年 · 著者

本文

1031年、杭州の銭塘に生まれた。父は地方官を歴任した官僚で、少年の沈括は父の任地について各地を巡り、土地の産物や人々の暮らしを見て育った。母から学問の手ほどきを受けたとされる。父の死後、そのおかげで下級の官職に就き、治水の工事で湿地を田に変える仕事などを手がけた。

伝統中国医学の本草書。1249年に木版印刷。沈括は幼少期から病弱で薬への関心を深めた
伝統中国医学の本草書。1249年に木版印刷。沈括は幼少期から病弱で薬への関心を深めたWikimedia Commons User:Parhamr · Public domain

1063年、科挙に受かった(宋の科挙と士大夫)。宋は、試験で選んだ士大夫が国を動かす時代で、彼らは経書と詩文だけでなく、財政や治水や軍事まで、あらゆることに通じることを求められた。沈括はその典型で、治水、財政、外交、軍事を歴任した。都では宮中の図書を校訂する職に就き、天文や数学、音楽の書物を読みあさった。

天文台の長官として、暦を改めた。観測の道具である渾天儀や水時計、日時計を作り直し、北極星が天の北極から少しずれていることを確かめるために、3か月のあいだ毎晩観測して200枚を超える図を描いたという。太陽暦に近い暦法を提案したが、採用されなかった。月の満ち欠けではなく季節の節目で一年を12に分ける暦で、農作業にはそのほうが便利だと考えた。だが月で日を数える伝統は動かせず、彼自身、この説はいまは非難されるだろうが、いつか必ず用いる者が現れる、と書いている。近代になって太陽暦が採り入れられてから、その構想が評価されるようになる。

沈括が信頼された宋の神宗(在位1067-1085年)の肖像画
沈括が信頼された宋の神宗(在位1067-1085年)の肖像画Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

政治では王安石の新法党についた(王安石の新法)。国の財政を立て直し、軍を強くするための改革で、沈括は塩の専売や貨幣、農地の測量などで改革の実務を担った。1075年、北の遼(契丹)が、国境の土地の帰属をめぐって宋に迫った。沈括は使者として遼に赴く前に、役所の古い文書を調べ上げ、かつて両国が取り決めた境界の記録を見つけ出した。遼の宰相との交渉で、その記録を示して相手の主張を崩し、数百里の土地を守ったとされる。帰り道には、通った土地の山や川、人々の暮らしを細かく書き留めて朝廷に報告した。地形を木屑や蝋で立体の模型にして見せたこともあった。

1080年代には、西北の延州で西夏との戦いを指揮する立場になった(西夏)。初めは戦功を上げたが、1082年、近くに築いた永楽城が西夏の大軍に囲まれて落ち、多くの兵が死んだ。城の築き方には沈括自身も反対していたともいわれるが、救えなかった責任を問われた。新法党の勢いが衰えていたこともあり、連座して失脚した。

そこから隠棲して『夢渓筆談』を書く(『夢渓筆談』)。若いころ夢に見た庭とそっくりの土地を、潤州(いまの江蘇省鎮江)に見つけて手に入れ、夢渓と名づけて晩年を過ごした。訪ねてくる客も少なく、筆と硯を相手に、かつて人と語り合ったことを書きとめた、と序文にある。

『夢渓筆談』に関わる図版:Shen Kua sketch
『夢渓筆談』Wikimedia Commons Unknown 18th century artist · Public domain

書かれているのは、職務中に見聞きしたことになる。磁石で磨いた針は南を指すが、真南からわずかに東へずれる。磁針の偏角を書き留めた最も古い記録とされる(羅針盤が海に出る)。無名の職人畢昇が粘土で活字を作ったことも、この本にしか書かれていない(畢昇の活字)。北の延州で地中から竹の化石が出たことから、昔はそこが竹の育つ暖かい土地だったと考え、太行山の崖に貝殻が帯になって埋まっているのを見て、そこがかつて海辺だったと推し量った。陝北の地中から湧く黒い油を「石油」と名づけ、その煤で墨を作り、これはいずれ世に広く用いられるだろうと書いた。虹は太陽と反対の側に出ること、小さな穴を通した光が像を逆さに映すことにも触れている。全部で600ほどの項目が並ぶ。

1095年に死んだ。65歳前後だった。

王安石の肖像画
王安石の肖像画Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

失脚しなければ、書かれていない。役人として成功し続けていたら、この本は存在しなかった。科学史家ジョゼフ・ニーダムは、沈括を中国の科学史で最も興味深い人物の一人と評した。官僚として国に仕え、その仕事の中で世界を観察し続けた人が、政治の挫折の後に、千年後まで読まれる観察の記録を残したことになる。

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