人物

畢昇

Bi Sheng
AD970年頃 – AD1051年頃(享年81・推定)
北宋重要度 4

概要

職人。生涯はほとんど分からない。沈括『夢渓筆談』の記述だけが同時代の記録で、そこに「慶暦年間、布衣の畢昇が活版を作った」とある。膠泥の活字、鉄板、松脂と蝋の接着、二枚の板を交互に使って途切れなく刷る方法。彼の死後、活字は沈括の甥たちが受け継いだ、と同書は書く。1990年、湖北で「畢昇」の名のある墓碑が見つかったが、同一人物かは分からない。

関わったできごと(1)

畢昇の活字AD1045年頃 · 作った

本文

畢昇について分かっていることは、一つの記録にしか書かれていない。北宋の官僚で学者の沈括が、晩年の1088年頃にまとめた随筆集『夢渓筆談』(『夢渓筆談』)の中の、200字あまりの一節である。

『夢渓筆談』に関わる図版:Shen Kua sketch
『夢渓筆談』Wikimedia Commons Unknown 18th century artist · Public domain

その書き出しはこうだ。慶暦年間(1041〜48年)に、布衣の畢昇がまた活版を作った。布衣とは、官職を持たない庶民を指す。科挙に受かった士大夫が書き残す世界で、職人や庶民の名が記されることはまれだった。沈括は、彼が何者で、どこに生まれ、いつ死んだかを書いていない。書いたのは、名前と、身分と、作ったものと、その方法だけである。生没年が970年頃から1051年頃とされるのも、この記事からのおおよその推定にすぎない。

「また」という語には意味がある。沈括はこの一節の前に、唐代には版木による印刷はまだ盛んでなく、五代の頃から経書が版木で刷られるようになった、と書いている。中国ではすでに、文字を彫った木の板で本を刷る木版印刷が広く行われていた。畢昇はそこに、もう一つの方法を加えたのである。

方法は具体的に書かれている。粘り気のある土に一字ずつ文字を彫り、火で焼き固めて活字にする。鉄の板の上に松脂と蝋と紙の灰を混ぜたものを敷き、鉄の枠をはめて、その中に活字を並べる。板を火にかけて温めると下の脂が溶け、平らな板で上から押さえると活字の高さがそろう。冷えれば脂が固まって活字が動かなくなる。刷り終えたら、また温めて活字を外す。版は二枚用意し、一枚で刷っている間にもう一枚を組めば、仕事は途切れない。よく使う字は一字につき20個以上作り、めったに使わない字は、必要になったときにその場で彫って藁の火で焼けばすぐにできる。活字は韻ごとに紙の札をつけて木の棚に収めた。

木ではなく土を選んだ理由も書かれている。木は木目に粗い所と細かい所があり、水を吸うと高さが不ぞろいになるうえ、脂にくっついて外しにくい。焼いた土ならそうした問題がない。沈括は利点だけでなく限界も記した。二、三部を刷るだけなら簡便とは言えないが、数十部、数百部、数千部と刷るなら非常に速い、と。

記事の最後に、こうある。畢昇が死ぬと、その活字は自分の一族の若い者たちの手に渡り、今も大切に保管している。沈括の家と畢昇の間に何らかの接点があったことをうかがわせる一文だが、それ以上のことは分からない。

畢昇の方法は、中国の出版の主流にはならなかった。中国の書物は数千から数万種の漢字を使う。そのすべての活字を作り、整理し、拾うには大きな手間がかかった。一方、版木は一度彫れば保管しておき、注文に応じて必要な部数だけ何度でも刷ることができた。少部数を長く刷り続ける出版のあり方には、版木のほうが向いていた。沈括自身が書いた限界は、そのまま活字が広まらなかった理由でもあった。

それでも活字の工夫は途絶えなかった。12世紀から13世紀の西夏では、西夏文字の活字で刷られた仏典が作られ、いまも残っている。元代の1298年頃、王禎は木の活字を6万個あまり作り、回転する円形の棚に韻の順に並べて、座ったまま字を拾えるようにした。その方法は彼の『農書』に付けられた一文に詳しい。明代には江南の富裕な家が銅活字で本を刷り、清代の宮廷は銅活字で1万巻の百科事典『古今図書集成』を、続いて25万個を超える木活字で叢書を刷った。

活字が最も大きな花を咲かせたのは朝鮮半島だった。高麗では13世紀に金属活字で書物が刷られたことが記録に残り、1377年に刷られた仏書『直指』(『直指』の印刷)は、現存する世界最古の金属活字本とされる。朝鮮王朝は1403年に活字を鋳る役所を設け、国家の事業として活字の鋳造を続けた。

1990年、湖北省の英山県で、「畢昇」の名と北宋の年号を刻んだ墓碑が見つかった。これを『夢渓筆談』の畢昇の墓とする研究者もいるが、同名の別人である可能性も残り、決着はついていない。

畢昇の名は、20世紀に入って、活版印刷を発明したのはヨーロッパのグーテンベルクより4世紀も前の中国人だった、という形で広く知られるようになった。発明の中身と仕組み、そしてそれがその後どう受け継がれたかは、畢昇の活字に詳しい。顔も、生まれも、死に場所も分からない一人の職人が、200字の記録によって世界史の中に立っている。

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