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Person / 人

カンビュセス2世

Cambyses II
? – BC522年
アケメネス朝ペルシア重要度 3

概要

キュロスの長子。エジプトを取り、ヌビアとシワの遠征に失敗した。ヘロドトスは聖牛を刺し、妹を妻にして殺し、狂ったと書く。帰る途中、弟の名を騙る男が王を名乗り、自分の剣で腿を傷つけて死んだ。ダレイオスがそれを継いだ。

所属

アケメネス朝ペルシア

関わったできごと(1)

カンビュセスのエジプト征服BC525年 · 王

本文

カンブジヤ。カンビュセス。 キュロスの長子。母カッサンダネ。 BC538年、バビロンの王。父の代理。 BC530年、王。 BC525年、エジプト。 プサンメティコス3世。 カルタゴ。フェニキア人が拒んだ。 ヌビア。 シワ。5万。 アピス。 スメルディス。 妹ロクサネ。 プレクサスペスの息子。 アマシスのミイラ。 BC522年3月、ガウマタ。「私はスメルディス」。 シリア。剣。腿。 「エクバタナで死ぬ」。 「私は弟を殺した。弟は生きているという。私は騙された」。 7か月後、ダレイオス。

ヘロドトス。「狂った」。「生まれつき神聖病(てんかん)だった」。 「アピスを殺したから」。 エジプトの祭司の話。 ウジャホルレスネト。「彼はサイスの神殿を清め、ネイトを拝んだ」。 アピスの石棺。カンビュセス6年。「彼が捧げた」。 ベヒストゥン碑文。ダレイオス。「カンビュセスは弟バルディヤを殺した。民は知らなかった。カンビュセスがエジプトに行っている間、ガウマタが『私はバルディヤ』と言った。カンビュセスは自分の死で死んだ」。 「自分の死」。事故。自殺。 ダレイオスが書いた。ダレイオスは殺した側かもしれない。 「狂王」の話は、負けたエジプトと、継いだダレイオスと、聞いたギリシア人が作った。 残る碑文は、普通のファラオとして彼を刻む。 砂に消えた5万は、いまも探されている。 2009年、「見つけた」。違った。 砂漠は返さない。