人物

ナイノア・トンプソン

Nainoa Thompson
AD1953年3月11日 – ?
ハワイ重要度 3

概要

計器を使わずにハワイからタヒチへ渡った。ポリネシアの航海術が実際に機能することを、実演して示す。

関わったできごと(1)

ホクレア号のタヒチ航海AD1976年 · のちに航海長を務める

本文

1953年3月11日、ハワイのホノルルで生まれた。父のマイロン・トンプソンはハワイ系の社会福祉の専門家で、のちにハワイの先住民の子どものための学校を運営する財団の理事を務めた人物である。ナイノアはオアフ島の東の海辺の農場で育ち、子どものころから海と空を眺めて過ごしたという。

ハワイの島々に最初に人が渡ってきたのは、千年ほど前のこととされる(ハワイへの到達)。南太平洋の島々から、双胴のカヌーで、星と波を頼りにやって来た(ポリネシア人の太平洋拡散)。だが20世紀の半ばには、その航海の技は、ハワイではとうに失われていた。それどころか、学者のあいだでは、ポリネシアの人々は目指して航海したのではなく、風に流されて偶然島にたどり着いただけだ、という説が力を持っていた。ハワイの若者たちにとって、それは自分たちの祖先の知恵を否定される話だった。ハワイ語の禁止と復活と同じく、失われた文化を取り戻そうとする動きが、1970年代のハワイで起きていた。

ハワイへの到達に関わる図版:Na mokupuni o Hawaii nei LOC 98680907
ハワイへの到達Wikimedia Commons Kalama, Simona P.; Lahainaluna Seminary · Public domain

1973年、人類学者や画家らがポリネシア航海協会を作り、古い形の双胴カヌーを復元した。ホクレア号、「喜びの星」という意味の名を持つ船である。だが、計器を使わずにカヌーを導ける者が、ハワイにはいなかった。そこで招かれたのが、ミクロネシアのカロリン諸島の小さな島サタワルの航海者、マウ・ピアイルグだった。1976年、マウの導きでホクレア号はハワイからタヒチまでの約4千キロを計器なしで渡り、タヒチでは大勢の人々に迎えられた(ホクレア号のタヒチ航海)。若いナイノアは、その帰りの航海に乗り組んでいた。

1978年、ホクレア号の次の航海は悲劇に終わった。出航してまもなく船は荒れた海で転覆し、救助を呼ぶためにサーフボードで漕ぎ出した乗組員のエディ・アイカウは、そのまま行方不明になった。ナイノアはこのとき船の上にいた。仲間の死が、伝統の航海術を自分のものにしなければならない、という決意を固めさせたと彼は語っている。

ホノルル沖を航行するホクレア号(2009年)
ホノルル沖を航行するホクレア号(2009年)Wikimedia Commons HongKongHuey · CC BY 2.0

ナイノアは学び始めた。ホノルルのプラネタリウムに通い、星の出る位置と沈む位置を覚え込んだ。そしてマウに師事した。うねりの向きを、船の揺れから体で読む。雲の形と色で、その下に島があるかを知る。鳥が夕方にどちらへ飛ぶかで、島の方角を推し量る。カロリンの航海術には、船は動かずに島のほうが動いてくる、と考えて位置を把握するやり方がある。こうした知恵を、ナイノアは地平線を32の方角に分けた自分なりの「星の羅針盤」にまとめ直した。

1980年、ナイノアはホクレア号の航海長として、ハワイからタヒチへ、そしてハワイへ戻る航海を、計器を使わずに導いた。ハワイの人間がそれを成し遂げたのは、何百年ぶりのことだった。ポリネシアの航海術は伝説ではなく、実際に使える技術であることが、ハワイ人自身の手で示された。

その後もホクレア号は太平洋を渡り続けた。ニュージーランドやラパ・ヌイ(イースター島)にも至り、ポリネシアの三角形の頂点を結んだ(ポリネシア三角形の完成)。マウは、自分の島の掟では一族の外に伝えてはならないとされた技を、ハワイの人々に教えた。そうしなければ、この技術はサタワルでさえ消えてしまう、と考えたからだとされる。2007年、サタワルでマウはナイノアらを一人前の航海者として認める伝統の儀式を行った。マウは2010年に亡くなった。

ポリネシア三角形の完成に関わる図版:Polynesia-triangle
ポリネシア三角形の完成Wikimedia Commons User:Kahuroa · Public domain

2014年から2017年にかけて、ホクレア号は「地球を大切に」を掲げて世界を一周し、日本を含む各地の港に寄った。ナイノアはその航海を率い、太平洋の島々の暮らしと海の環境を訴えた。いまも航海協会の長として、若い航海者を育て続けている。

ジェームズ・クックがハワイに来た18世紀、ヨーロッパの人々は、海図も羅針盤も持たない人々がどうやって広い太平洋の島々に住みついたのか、不思議に思った。その答えを、200年後、ハワイの若者がカヌーの上で示した。それは学説の論争への答えであると同時に、自分たちの祖先が何者だったかを取り戻す航海でもあった。

この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1953年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →