ジャービル・イブン・ハイヤーン
概要
クーファの錬金術師。蒸留と結晶化を書き、硫黄と水銀の理論を立てた。何百の書が名を借りて書かれ、実在自体が疑われる。ラテン語のゲーベル(硝酸や王水の作り方を書いた13世紀の書物は、この名を借りたもの)。
所属
カリフ国(正統・ウマイヤ・アッバース)関わったできごと(2)
ジャービルの錬金術AD800年頃 · 錬金術師蒸留とアランビクAD800年頃 · 洗練させた本文
アブー・ムーサー・ジャービル・イブン・ハイヤーン。アラビア語の名には、その人の出自や暮らしを示す呼び名が付く。ジャービルには、アズド族の、クーファの、トゥースの、そしてスーフィーの、という呼び名が伝わっている。東方のホラーサーン地方のトゥースで生まれ、イラクのクーファに住み、アラブのアズド族の出で、神秘主義に近い人だった、ということになる。もっとも、それらはすべて後の時代の伝えによるもので、確かな記録から彼の生涯をたどることはできない。
伝えられるところでは、父ハイヤーンはクーファの薬屋で、ウマイヤ朝を倒そうとするアッバース家の運動(アッバース革命)に加わり、密使としてホラーサーンで活動していたところを捕らえられて殺された。幼い息子はアラビア半島に逃れて学問を修め、のちにクーファに戻ったという。ジャービルの名で伝わる著作は、シーア派の第6代イマームで学識で知られたジャアファル・サーディクを「わが師」と呼んでいる。また、アッバース朝のハールーン・アッラシードの宰相として権勢をふるったバルマク家に仕えたとも言われ、803年にバルマク家が失脚すると、ジャービルもクーファに退き、815年ごろに世を去ったと伝えられる。

ジャービルの名を高めたのは、その名で伝わる膨大な著作である。錬金術を中心に、医学、天文、哲学、音楽、魔術にまでわたり、その数は数百、数え方によっては千を超えるとも言われる。だが、その量そのものが疑いの種になった。10世紀のバグダードの書籍商イブン・アンナディームは、当時知られていた書物の目録を作り、そこにジャービルの著作の長い一覧を載せた。そして、そんな人物は存在しなかったと言う学者もいれば、人物はいたが著作は別人のものだと言う学者もいる、と書き添えた。彼自身は、これほど多くの本を書いて他人の名を付ける者がいるとは思えない、とジャービルの実在を擁護している。
20世紀になると、研究者たちが著作の中身を詳しく調べ、ジャアファル・サーディクの死後の出来事や、ジャービルの時代より後に訳されたギリシアの書物の知識が含まれていることを指摘した。そこから、著作の大部分は9世紀の末から10世紀にかけて、シーア派のイスマーイール派に近い思想を持つ人々が、何世代にもわたってジャービルの名のもとに書き継いだものだとする説が有力になった。一方で、核となる部分はもっと古いと見る研究者もおり、実在の人物としてのジャービルと、その名の著作との関係は、いまも結論が出ていない。

著作の中身は、近代の化学とは大きく違う世界である。その中心にあるのは「均衡」の理論だった。すべての物は、熱・冷・乾・湿という四つの性質を、それぞれ決まった割合で持っている。その割合を変えれば、ある物を別の物に変えることができる。そして驚くことに、その割合は、物のアラビア語の名前の文字から計算できるとされた。28のアラビア文字を四つの性質と数に対応させる、文字と数の神秘の体系である。
金属については、すべての金属は硫黄と水銀という二つの原理が結びついてできており、その割合と純度の違いが、鉛や錫や金の違いを生むと説いた。とすれば、割合を正しく整えれば、卑しい金属を金に変えられるはずである。そのための薬を、アラビア語でイクシールと呼んだ。英語で霊薬を意味する言葉の語源である。

ただ、ジャービルの名の著作は、神秘の理論だけを語っていたわけではない。蒸留、昇華、結晶化、濾過、焼成といった操作の手順や、その器具が具体的に書かれ、実験を自分の手で行うことの大切さが説かれている(ジャービルの錬金術)。物を熱して出てくる蒸気を冷やして集める蒸留の器具は、アラビア語の名を通じてヨーロッパの言葉に入った。植物の灰を指すアラビア語は「アルカリ」の語源になった。こうした言葉の流れは、イスラームの世界の錬金術が、のちのヨーロッパの化学にどれほど多くを伝えたかを示している。
ジャービルの名は、ラテン語では「ゲーベル」となった。12世紀以降、アラビア語の錬金術の書物がラテン語に訳されると、ゲーベルはヨーロッパで錬金術の最高の権威となった。13世紀の末ごろには、ゲーベルの名で『完成大全』という本が現れ、明快な実験の記述でヨーロッパの錬金術師たちの教科書になった。硝酸や、金を溶かす王水の作り方が、はっきりと書かれた最初期の文献も、このゲーベルの名の書物だとされる。だが『完成大全』にはアラビア語の原本が見つかっておらず、現在では、イタリアのフランシスコ会士パウルス・デ・タレントがゲーベルの名を借りて書いたとする説が有力である。

つまり、ジャービルという名のもとには、少なくとも三つの層が重なっている。8世紀のクーファにいたかもしれない一人の錬金術師。9世紀から10世紀にその名で膨大な書物を書き継いだイスラームの思想家たち。そして13世紀のヨーロッパでその名を借りた修道士。理解できない言葉を意味する英語が、難解なゲーベルの文章から来たという俗説まであるが、これは確かではない。
ジャービルの名の伝統は、同じ時代のイスラーム世界の学問の広がりの中にあった。バグダードの知恵の館でギリシアの書物が次々に訳され、ラーズィーのような医師で錬金術師でもある学者が、実際の物質を分類し、実験を重ねた。金を作るという夢は叶わなかったが、その夢を追う中で磨かれた実験の手順と器具と言葉は、のちにヨーロッパで化学という学問が生まれる土台の一つになった。実在さえ疑われる一人の名が、千年にわたって化学の祖として語り継がれてきたのである。