人物

イブン・マージド

Ahmad ibn Majid
AD1432年頃 – AD1500年頃(享年68・推定)
オマーン重要度 3

概要

インド洋の季節風と星の高さで航海する技術を書物にまとめた。ヴァスコ・ダ・ガマを案内したという話が伝わるが、確かな証拠はない。

関わったできごと(1)

ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路AD1498年 · 水先案内をしたとされる

本文

アフマド・イブン・マージドは、1430年代ごろ、ペルシア湾の入口に近いジュルファールに生まれたとされる。いまのアラブ首長国連邦のラアス・アル=ハイマのあたりで、当時はオマーンの海の世界に属していた。生年には幅があり、1420年代とも1440年ごろともいう。父も祖父も航海士で、とりわけ父は紅海の航路に通じた人として知られていた。本人も子どものころから船に乗り、家に伝わる知識を受け継いだ。

イブン・マージドの著書、ベルベラ湾(アデン湾の古称)の記述
イブン・マージドの著書、ベルベラ湾(アデン湾の古称)の記述Wikimedia Commons Ahmad ibn Majid · Public domain

当時のインド洋は、ダウ船とモンスーンで結ばれた大きな交易の海だった。東アフリカのキルワなどの港々(キルワとインド洋交易)、アラビア、ペルシア湾、インド西岸のカリカット(カリカット到着)、さらにマラッカまで、季節風に合わせて船が行き来した。半世紀ほど前には明の鄭和の南海遠征もこの海を渡っている。船の舵を取る航海士は「ムアッリム」(師)と呼ばれ、どの季節にどこを出ればよいか、どの星を見ればよいかを知っている者が、船の命運を握った。

イブン・マージドが残したのは、その知識の体系だった。40篇あまりの著作が伝わり、多くは詩の形で書かれている。船の上で覚え、口ずさむためである。若いころの長詩『ハーウィヤ』は1462年の作とされる。主著は1490年ごろにまとめた散文の『航海の原理と規則に関する有益の書』で、航海術の歴史から説き起こし、羅針盤の方位、星の高さによる緯度の求め方、季節風の時期、海岸の目印、港ごとの入り方までを扱う。

方位の取り方も、いまの羅針盤とは考え方が違った。アラブの航海士は、水平線を32に分け、それぞれの方位を、その方角から昇る星、沈む星の名で呼んだ。カノープスの昇る方角、プレアデスの沈む方角、といった具合である。磁石の針はその目盛りの上に置かれ、夜に星が見えなくても方角を保つことができた。イブン・マージドは、この星の方位図と磁石の扱いを、自分たちの先祖が工夫したものとして誇らしげに書いている。

星の高さは「指幅」で測った。腕を伸ばして指を並べ、水平線から星までが何本ぶんかを見る。木の板に紐を付けた簡単な器具も使われ、紐の結び目で高さを読んだ。北極星の高さが分かれば、いまどの緯度にいるかが分かる。イブン・マージドはこうした測り方を星ごと、海域ごとに細かく書き分けている。紅海の浅瀬やサンゴ礁、マダガスカルへ向かう航路の注意も含まれる。

本人は自分を「海の第四の獅子」と呼んだ。先人の三人の名高い航海士に続く者、という意味である。誇り高い人だったことがうかがえる。後輩のスライマーン・アル=マフリーとともに、アラブの航海術を書き残した代表として、のちのオスマン帝国の提督スィーディー・アリー・レイスもその著作を引いている。

広く知られた話がある。1498年、ヴァスコ・ダ・ガマが東アフリカのマリンディからインドへ渡るとき、その船を案内したのがイブン・マージドだった、というものだ。この話のもとは、16世紀後半にメッカの学者ナフラワーリーがオスマン帝国のイエメン征服を記した書物で、ヨーロッパ人の首領が酒に酔わせて道を聞き出した、と非難めいて書かれている。事件から70年以上あとの記述で、同時代の裏づけは無い。本人の著作にもそれらしい記述は無い。ポルトガル側の記録は、マリンディで雇った水先案内人をインドのグジャラート出身のムスリムとしており、別人と考える研究者が多い。この航海についてはヴァスコ・ダ・ガマのインド航路を見てほしい。

それでもこの話は20世紀に広まり、アラブ世界では「ヨーロッパ人にインドへの道を教えてしまった男」として語られることもあった。ポルトガルの来航が、インド洋の自由な交易の終わりの始まりだったからである。逆に湾岸諸国では、海の先人として名誉を与えられ、記念の行事や施設に名が付けられている。

死んだのは1500年ごろとされるが、確かではない。著作の写本はパリなどの図書館に伝わり、20世紀にフランスの東洋学者が刊行して、ヨーロッパの学界にも知られるようになった。彼が書き残したのは、地図ではなく、海を渡るための頭の中の地図だった。

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