人物

アフォンソ1世

Nzinga Mbemba (Afonso I)
AD1456年頃 – AD1543年(享年87・推定)
コンゴ王国重要度 4

概要

ポルトガル語で読み書きし、対等な国として文通した。人の売買で国が空になると訴える手紙を何通も書き送っているが、止まらなかった。

所属

コンゴ王国

関わったできごと(1)

アフォンソ1世の手紙AD1526年 · 差出人

本文

アフリカ中西部、いまのアンゴラ北部からコンゴ民主共和国西部にかけて広がっていたコンゴ王国の王族に、1456年から1460年頃に生まれた。元の名はンジンガ・ムベンバ。コンゴは、マニコンゴと呼ばれる王のもとに州が束ねられた国で、都ンバンザ・コンゴを中心に、貝殻の通貨と税の仕組みを持っていた。

1483年、ポルトガルの航海者ディオゴ・カンの船がコンゴ川の河口に現れた(コンゴ王国とポルトガルの接触)。インドへの航路を探してアフリカの西岸を南へ下る、物語「大航海時代」の初めのころである。使節の往来の後、1491年、王ンジンガ・ア・ンクウは洗礼を受けてジョアン1世と名乗った。息子ムベンバも洗礼を受け、アフォンソの名を得た。

父王はやがてキリスト教から離れたが、アフォンソは誰よりも熱心だった。北東のンスンディ州を治めながら、ポルトガルから来た聖職者に学び、ポルトガル語の読み書きを身に付けた。宣教師は、彼がいつも書物を手放さず、読みながら眠り込んでしまうほどだと本国に書き送っている。

1506年頃に父が死ぬと、王位をめぐって異母兄弟ムパンズ・ア・キティマと争った。都の前での戦いに勝ったアフォンソは、空に白い十字架と聖ヤコブが現れ、騎士たちを率いて味方してくれたと宣言した。この奇跡の話は王国の紋章にも取り込まれ、後のコンゴの王たちも祝い続けたとされる。即位をキリスト教の神のお墨付きで正当化したのである。

即位したアフォンソは、ポルトガルの国王と対等な君主として手紙を交わした。求めたのは、宣教師と、教師と、大工や石工などの職人と、医者だった。王族や貴族の子どもたちをリスボンへ留学させ、都には学校と教会を建てた。息子のエンリケはリスボンとローマで学び、1518年、教皇から司教に任じられた。サハラより南のアフリカ人として初めての司教である。

だが、送られてきたのは、主に人を買い付ける商人だった。ポルトガルは大西洋の島サン・トメに砂糖の農園を開いており、そこで働かせる人を必要としていた。やがて新大陸のブラジルにも運ばれるようになる(大西洋奴隷貿易)。コンゴにも、もともと戦争の捕虜を奴隷とする慣わしはあった。王もポルトガルの品物を手に入れるため、捕虜を売ることを認めていた。しかし商人たちの欲しがる数は、それをはるかに超えていった。

大西洋奴隷貿易に関わる図版:Slave Auction Ad
大西洋奴隷貿易Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

1526年7月、アフォンソはポルトガル王ジョアン3世に宛てて手紙を書いた。商人たちが毎日のように国の人々をさらっていく。この国の子どもたち、貴族や家臣の息子たち、王の一族の者までが捕らえられ、船に乗せられている、と。品物の誘惑に負けた者たちが、自分の同胞を売り渡している、と訴え、この国では奴隷の売買も積み出しも行わないことにしたい、と求めた。

同じ年の秋の手紙では、完全な停止ではなく、王の任じた役人が一人ひとりを調べ、正当に奴隷とされた者だけを積み出させる仕組みを作ったと伝えている。すでに止められないと分かっていたようにも、王が交易の利益を自分の手に集めようとしたようにも読める。どちらの面もあったのだろうと考えられている。

訴えが聞き入れられることはなかった。1540年の復活祭には、ミサの最中にポルトガル人たちに銃で狙われ、すんでのところで命拾いをした。アフォンソが手紙で直接ローマの教皇とつながろうとしたことも、ポルトガルとの間をこじらせた。

1542年の末か翌年に亡くなった。80歳を超えていたとみられる。30年以上にわたる治世のあいだに、王が書き送った手紙は数多く残っており、ヨーロッパの外の君主が自分の言葉でヨーロッパと渡り合った、早い時期の記録として読まれている。

コンゴのキリスト教は、王が死んだ後も深く根づき、独自の信仰として続いた。だが人の売買は止まらなかった。南のンドンゴではのちにンジンガ女王がポルトガルと戦い、1575年に建てられたルアンダ(ルアンダの建設と奴隷の積出)は、大西洋の向こうへ人を送り出す最大の港の一つになっていく。コンゴ王国そのものも、やがてポルトガルとの戦争と内紛で力を失った。キリスト教を進んで受け入れ、対等な付き合いを望んだ王の手紙は、その願いが聞き入れられなかった記録でもある。

この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1456年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →