できごと

ヴァーラーナシーの火葬

Manikarnika Ghat
AD500年頃
重要度 4
古シベリアの狩猟採集民コイサン西アフリカの穀作農民ササン朝ペルシア東ローマ帝国柔然Jin Empire北魏(拓跋魏)グプタ朝ヴァーカータカ朝ヒムヤル王国扶南高句麗クリカンアクスム王国クシャーナ系の諸侯国ラヴォチャンパKadambasVishnu-KundinsPallavasシンハラAD500年頃ヴァーラーナシー
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD500年頃の版図を描いています(22勢力)。

概要

ガンジス河畔のこの町で死ねば輪廻から解脱できる、という信仰がある。マニカルニカー・ガートでは、薪の火が数百年、絶えたことがないとされる。遺体は布に包まれて川で清められ、薪の上で焼かれ、灰は川へ流される。墓は作らない。体は器であって、残すものではないという考え方である。焼く薪の量は一体に300キロ前後で、貧しい者には払えない。焼き切れなかった体が川へ流されることが、いまも問題になっている。

場所

ヴァーラーナシー
25.32°N 83.01°E · インド・ウッタルプラデシュ州

本文

ヴァーラーナシーは、北インドを流れるガンジス川の西岸、川が北へ向きを変える大きな湾曲部に広がる町である。古くはカーシー(光の町)と呼ばれ、英語ではベナレスの名でも知られてきた。人が住み続けている都市として世界で最も古い部類に入る、としばしば言われ、発掘からは少なくとも紀元前1千年紀の前半にさかのぼる町の跡が見つかっている。北の郊外のサールナートは、釈迦が初めて教えを説いた土地でもある。ヒンドゥー教では、ここはシヴァ神の町とされる。

川岸には石の階段が何キロにもわたって連なっている。ガートと呼ばれ、80を超える数がある(ヴァーラーナシーのガート)。その大半は沐浴のためのもので、夜明けには人々が川に入って体を清め、昇る太陽に祈る。そのうち二つが、火葬のためのガートである。マニカルニカー・ガートと、ハリシュチャンドラ・ガートだ。ハリシュチャンドラの名は、伝説の王に由来する。真実を守ることを誓った王が、国も妻子も失い、この町の火葬場で死者を焼く番人として働かされた。それでも誓いを曲げなかった王は、最後に神々に救われたと語られる。火葬場は、身分も財産も失った者の試練の場として、物語の中でも特別な場所だった。

サティー女神の遺体を抱くシヴァ神を描いた絵
サティー女神の遺体を抱くシヴァ神を描いた絵Wikimedia Commons Unknown artist Unknown artist · Public domain

ヒンドゥー教では、人は死んでもまた生まれ変わる。その繰り返しから抜け出すことを解脱という。そして、この町で死ねば解脱できる、という信仰がある。死にゆく者の耳に、シヴァ神が解脱へ導く言葉をささやくとされるのである。だから、ここへは死ぬために人がやって来る。死期の近い人が家族とともに身を寄せる「解脱の家」と呼ばれる宿もある。滞在は原則として2週間ほどまでで、その間に死が訪れなければ、家へ帰る。

マニカルニカー・ガートの火は、何百年も絶えたことがないとされる。新しい火葬の薪には、その火から火を移す。火を管理してきたのは、ドームと呼ばれる人々である。遺体に触れる仕事であるため、彼らはカーストの秩序の中で最も低い位置に置かれてきた。その一方で、聖なる火を扱う権利を持つのは彼らだけであり、遺族は彼らから火を買わなければならない。最も卑しいとされる人々が、最も聖なるものを握っている。この逆説は、長く論じられてきた。

マニカルニカー・ガートで行われる火葬
マニカルニカー・ガートで行われる火葬Wikimedia Commons https://www.flickr.com/photos/fyunkie/ · CC BY 2.0

火葬はおおよそ次のように進む。遺体は白い布で包まれ(既婚の女性は赤や金色の布のこともある)、竹の担架に載せられて、神の名こそ真実である、と唱える人々に担がれ、細い路地を抜けて川岸へ運ばれる。ガートに着くと、遺体はまずガンジス川の水に浸されて清められる。薪を積んだ上に遺体を置き、さらに薪を重ねる。喪主となる長男、あるいは最も近い男性の親族が、頭を剃って白い布をまとい、遺体の周りを回ってから火をつける。焼けるまでには数時間かかる。最後に喪主が頭蓋を割る儀礼を行うこともあり、魂を解き放つためとされる。灰と焼け残った骨は川へ流される。

墓は作らない。体は魂の器であって、魂が去った後に残しておくものではない、という考え方である。魂が戻る場所として体を保存しようとした古代エジプトとは、ちょうど正反対の発想といえる。

ただし、焼かれない死者もいる。すでに解脱しているとされる修行者は焼く必要が無いとされ、石を結びつけて川に沈められてきた。幼い子ども、妊娠中の女性、蛇に噛まれて死んだ人、かつては天然痘で死んだ人なども、火葬せずに水に葬られることがあった。

一体を焼くには、300キロ前後の薪が要る。木の種類によって値段は違い、白檀は最も高い。薪代に火の代金、儀礼の費用を合わせれば、貧しい家には重い負担になる。薪が足りなければ、焼き切れないまま遺体が川へ流されることもあり、繰り返し問題として報じられてきた。

ガンジス川が受けているのは、火葬の灰だけではない。工場の排水や町の下水、畑の農薬が流れ込み、ヴァーラーナシー付近の水からは、安全とされる基準をはるかに超える細菌が測られている。それでも人々はそこで沐浴し、口をすすぎ、川の水を容器に詰めて持ち帰る。信仰と測定値が、同じ川の上に並んでいる。政府は1986年に川をきれいにする計画を始め、2014年からは新たな大規模計画を進めているが、効果は限られているとされる。木を使わず費用も安い電気の火葬炉が1980年代末から設けられたが、伝統の火で焼くほうが正しいという感覚は強く、利用は思うようには広がっていない。

同じインドでも、弔い方は一様ではない。イスラーム教徒やキリスト教徒は土に葬る。ムンバイなどに住むパールシー(ゾロアスターの教えを受け継ぐゾロアスター教徒)は、火も土も水も聖なるもので、遺体で汚してはならないと考え、遺体を「沈黙の塔」の上に置いてハゲワシにゆだねてきた。ところが1990年代から、インドのハゲワシは激減した。家畜に使われた鎮痛剤を含む死骸を食べたハゲワシが、腎臓を壊して死んだのである。ハゲワシの数は20年ほどで99パーセント以上減ったとされ、パールシーの人々は、太陽の光を集めて遺体の分解を早める装置などの代わりの方法を試している。

火葬が当たり前かどうかは、国によって大きく違う。日本の火葬の割合は99.9パーセントを超え、世界で最も高い。明治の初めには、政府が一時火葬を禁じたこともあった(火葬禁止令)。ヨーロッパやアメリカでは19世紀後半に近代的な火葬場が生まれ(近代の火葬)、いまではイギリスで8割近く、アメリカでも6割ほどが火葬を選ぶようになった。正教会やカトリックの伝統が強い国では、なお土葬が多い。

マニカルニカー・ガートでは、いまも一日に百体を超える遺体が焼かれているといわれる。昼も夜も煙が立ちのぼり、そのすぐそばを沐浴の人々と観光客の舟が行き交う。死を隠さず、町の真ん中で、川とともに見送る。それがこの町の千年来の日常である。

同じ時代のできごと

マダガスカルへの到達AD5〜8世紀祖沖之の円周率AD480年頃テオドリックのイタリア王国AD493年テオドリックのイタリア統治AD493年孝文帝の洛陽遷都と漢化AD494年バドン山の戦い(伝承)AD500年頃(伝承)クローヴィスの改宗AD496年頃(508年説もある)『アーリヤバティーヤ』AD499年
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD500年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →