概要
204トンの漁船で。政府は金を出さず、大隈重信が募った。アムンセンとスコットが点を争っている同じ月に、ロス棚氷を280キロ走って引き返した。「大和雪原」。帰ると借金だけ残り、講演で返した。日本人が南極に立った最初。
場所
-90.00°N 0.00°E · 南極
関わった人(1)
白瀬矗AD1861年7月20日–AD1946年9月4日 · 率いた本文
白瀬矗。 1861年。秋田。金浦。浄蓮寺。 「北極」。 陸軍。「輜重兵」。 1893年、千島。郡司成忠。「千島報效義会」。占守島。越冬。 「10人が壊血病で死んだ」。 1909年、ピアリー。 「南極」。 1910年、「南極探検後援会」。大隈重信。 「政府は3万円を予算に。国会は否決」。 「寄付」。 「開南丸」。204トン。木造の漁船。第2の報效丸。 「東郷平八郎が名づけた」。 1910年11月29日、芝浦。27人。 「樺太犬30頭」。 1911年2月、ウェリントン。 「ニュージーランドの新聞は『日本人が』と笑った」。 3月、ロス海。氷。「遅すぎた」。 5月、シドニー。 「駐屯」。「タスマン公園の小屋」。 「エッジワース・デイヴィッド。オーストラリアの地質学者。助けた」。 11月19日、出た。 1912年1月16日、クジラ湾。 「フラム」。 「アムンセンが、南極点から帰ってきていない」。 「フラムの乗組員が、開南丸を訪ねた」。 「ニルセン船長」。 1月20日。「突進隊」。白瀬、武田、三井、犬2頭の橇に花守と山辺(樺太アイヌ)。 「南緯80度5分」。 1月28日。 「大和雪原」。 「ここより南を、日本の領土と」。 「旗」。「銅の缶。名簿」。 「引き返した」。 「野村直吉船長。開南丸で、エドワード7世ランドの沿岸を」。 6月20日、芝浦。 「5万人」。 「借金。4万円」。 「講演。日本中。20年」。 「家を売った」。 1946年9月4日。愛知。85歳。 「南極」。 「白瀬氷河」。 「しらせ」。1982年、2009年。 「南極観測船」。 「彼は、南極点に行けなかった」。 「彼は、行った」。 「日本人が、南極に、立った」。 「大和雪原」。 「1912年1月28日」。