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Event / できごと

土木の変

Tumu Crisis
AD1449年9月1日
重要度 5

概要

宦官王振に勧められて正統帝が50万で親征し、オイラトのエセンに囲まれ、皇帝が捕虜になった。于謙が弟を皇帝にして北京を守った。エセンは皇帝を返した。帰った皇帝は7年幽閉され、弟が病むと復位して于謙を殺した。明はそれから長城を築き続けた。

場所

土木堡
40.40°N 115.30°E · 中国・河北省

本文

正統帝。朱祁鎮。9歳で即位。1435年。 宦官王振。「先生」。 エセン。オイラト。「太師」。トクトア・ブハがハーン。 馬市。朝貢。「3000人が来て、2000人分の礼物」。 1449年7月、エセンが四路から。大同。 王振。「親征」。 「50万」。 7月16日、北京を出た。 雨。兵糧。 8月1日、大同。 王振の故郷蔚州を通る。「私の故郷を荒らさないように」。道を変えた。 宣府。 土木堡。8月13日。 「懐来城まであと20里」。王振が「輜重を待つ」。 エセンが囲んだ。 水がない。 8月15日。「和議」。兵が水を求めて動いた。 崩れた。 英国公張輔、兵部尚書鄺埜。66人の高官。 王振は護衛の樊忠に「お前が国を滅ぼした」と槌で。 皇帝。「地面に座っていた」。 捕虜。 「皇帝が捕虜に」。 北京。 于謙。兵部侍郎。「南遷を言う者は斬る」。 太后。「郕王を」。景泰帝。9月。 正統帝は「太上皇帝」。 10月、エセンが北京へ。太上皇帝を連れて。「門を開けよ」。 于謙。9門。「城の外で戦う」。 5日。退いた。 エセンは皇帝を持て余した。「殺せば復讐される。返せば恩を売れる」。 1450年8月、返した。 南宮。7年。門に鉛を流した。 1457年1月。景泰帝が病んだ。 「奪門の変」。石亨、徐有貞、曹吉祥。 復位。「天順」。 于謙は「謀反」。斬られた。 「粉骨砕身、全不怕、要留清白在人間」。石灰の詩。 景泰帝は1か月後に死んだ。「絞め殺された」とも。 「土木の変」。 明は北へ二度と出なかった。 長城。八達嶺。嘉峪関。 「万里の長城は、明が、土木の後に」。 1550年、アルタンが北京を囲んだ。「庚戌の変」。 エセンは1453年にハーンになり、1454年に殺された。 「土木堡」。河北省懐来。 1990年代、「土木之変」の碑。 「50万」は「20万」だった、と。 皇帝が捕虜になった、二度目。靖康の変と。 三度目は、ない。

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