できごと

火口箱

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AD18世紀
重要度 3
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概要

火を新しく起こすのは、長いあいだ、面倒な作業だった。鋼を火打ち石に打ちつけ、飛んだ火花を、焦がした布に受ける。そこに硫黄を塗った木片を当てて、ようやく炎になる。慣れた者でも数分、湿っていれば十分以上かかり、うまくいかないこともある。だから人は火を作るより、絶やさないようにした。灰に埋めた炭を朝まで持たせ、消えていれば隣家から火種を借りに行く。台所の火が家の中心にあったのは、暖かいからではなく、消すと取り戻せなかったからである。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

本文

マッチが生まれる前、ヨーロッパの家で火を新しく起こすには、火口箱(ほくちばこ)を使った。手のひらに載るほどの金属の箱で、中には四つの道具が入っている。硬い火打ち石、炭素を多く含む鋼の輪か帯でできた火打ち金、火花を受ける火口、そして先に硫黄を塗った薄い木片の付け木である。火口には、麻や木綿の布を空気を絶って蒸し焼きにした焦がし布や、ツリガネタケなどの茸を叩いてなめしたものを使った。箱には火口の火を押し消すための内蓋が付き、蓋の上が燭台を兼ねているものも多かった。

使い方はこうだ。火打ち金を石の鋭い縁に向けて素早く擦り下ろす。このとき削れるのは石ではなく鋼のほうで、削り取られた細かな鉄の屑が摩擦の熱で空気中で燃え、それが火花になる。石から火が出るのではない。その火花を火口に落とすと、炎にはならず、布の一点が赤く熾るだけである。そこへそっと息を吹きかける。強すぎれば火口が飛び、弱ければ消える。熾火が少し広がったら付け木の先を当てる。硫黄は低い温度で燃えるので、ここでようやく炎が立つ。それを蝋燭やかまどの焚き付けに移して、やっと火が起きたことになる。

慣れた者でも数分はかかった。湿気があれば火口はまず点かないので、箱は湿らないように固く閉めておく。寒い朝はかじかんだ手がうまく動かず、夜中に手探りで火花を飛ばせば、その光に目がくらんでかえって手元が見えなくなる。うまくいかない日は何十回打っても点かない。急いでいるときほど点かないものだった。火が点かないことは、日々の暮らしの小さな災難だった。

火打ちの道具そのものはとても古い。紀元前3300年ごろにアルプスの氷河で死んだ男、いわゆるアイスマンの死は、火口になる茸と、火花を出すための鉱物のかけらを持っていたと考えられている。鋼を使う火打ちは鉄の時代に広まり、ヨーロッパでもアジアでも、何千年ものあいだ人々の手元にあった。日本でも火打ち石と火打ち金、火口を袋や箱に入れて持ち歩き、江戸の人々は出かける家族の背に火打ち石を打って送り出す「切り火」の習いを残している。

火を作るのが面倒なら、作るよりも絶やさないほうが楽である。人々はそうした。夜、寝る前に燃えている炭を灰の中に埋め、空気を細く絞っておくと、朝まで熾が残る。日本では「埋み火」と呼んだ。燃え残りの炭を火消し壺に入れて蓋をし、空気を絶って消し炭にしておけば、次に火を起こすとき点きやすい。アイルランドの農家では、泥炭の炉の火を何十年も絶やさなかったという話も伝わる。

それでも消えてしまえば、隣の家へ火種をもらいに行った。小さな鍋や火挟みで燃えている炭を運んで帰る。火を貸し借りする言い回しは多くの言葉に残っている。火は、それぞれの家が一から作るものというより、近所どうしで分け合い、持ち回りで保つものだった。ローマのウェスタの火は、絶やしてはならない火を国家の規模で守り続けた例である。

火口箱のほかにも火を得る方法はあった。木と木を擦り合わせる火きりは最も古いやり方だが(火の使用)、火打ちよりさらに手間がかかり、神事などの儀礼の場に残った。凸レンズで日の光を集める方法は、太陽が出ていなければ使えない。ゆっくり燃え続ける縄、火縄は、鉄砲伝来のような火縄銃の点火に使われたほか、煙草の火にも、火種を持ち歩くのにも使われた。

火の使用に関わる図版:Font-de-Gaume
火の使用Wikimedia Commons Charles Robert Knight · Public domain

19世紀の初めには、化学の力を借りて火を起こす試みが続いた。1805年ごろ、フランスのシャンセルは、塩素酸カリウムなどを塗った木片を濃い硫酸に浸すと燃え上がる仕掛けを作った。だが、点けるたびに硫酸の瓶を扱わなければならない。1823年には、ドイツの化学者デーベライナーが、水素を白金に吹き付けると白金が触媒になって火が点く装置を作った。これは高価で、卓上に置く大きな器具だった。どれも、ポケットに入る火口箱の代わりにはならなかった。

決め手になったのは1826年、イングランドの薬剤師ジョン・ウォーカーが作った、擦れば点く摩擦マッチである。数分かかった火起こしが、一瞬で済むようになった。改良が重ねられてマッチが安く出回ると、火口箱はたちまち姿を消し、19世紀の半ばにはもう骨董になっていた。隣家へ火を借りに行く習慣も、同じ頃に薄れていった。

道具は消えたが、言葉は残った。英語の「火口箱(ティンダーボックス)」は、ほんのわずかな火花で燃え上がる乾いた火口のように、一触即発の危うい状態を指す言葉になっている。火を起こすときの手触りが、比喩の中にだけ生き残ったのである。

火を、要るときにすぐ作れるかどうか。それができなかった長い時代、家の真ん中には必ず消えていない火があった。台所の炉が家の中心だったのは、暖かいからだけではない。そこにしか火がなく、消してしまえば簡単には取り戻せなかったからである。マッチはその中心を不要にし、火は家の決まった場所を離れてポケットに入った。その便利さの代償を誰が払ったのかは、マッチ工場で働いた少女たちの話(マッチ工場の少女たち)に残っている。

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