割り符と国庫
概要
イングランドの財務府は、木の棒に切れ込みを入れて金額を記した。千ポンドは手のひらの幅、一ペニーは細い線。刻んだ後で棒を縦に割り、片方を納税者が、片方を国庫が持つ。木目は二つと同じものがないので、合わせれば本物だと分かる。改竄が難しく、読み書きができなくても使える。この方式は六百年以上続き、割り符そのものが債権として転々と売買された。1834年、廃止された棒を国会議事堂の炉で燃やしたところ、煙突から火が移り、議事堂が全焼した。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
中世のイングランドの国庫は、木の棒で会計をしていた。12世紀から19世紀まで、600年以上にわたってである。国の財政を扱う役所は財務府(エクスチェッカー)と呼ばれた。机に格子模様の布を広げ、その上に数取りの玉を置いて計算したことからついた名で、チェス盤を意味する古い語に由来する。征服王ウィリアムが国中の土地と財産を調べ上げたドゥームズデイ・ブックからほどなく整えられたこの役所で、税の受け取りの証として使われたのが、割り符(タリー)だった。
割り符には、まっすぐで割りやすいハシバミや柳の枝が使われた。長さは手のひらほどのものから、大きな額を記した長いものまでさまざまだった。棒の側面に刻み目を入れて金額を記す。刻み目の幅が桁を表した。12世紀の末に財務府の役人リチャード・フィッツニールが書いた『財務府についての対話』によれば、1000ポンドは手のひらの幅の切り込み、100ポンドは親指の幅、20ポンドは小指の幅、1ポンドは大麦の粒ほどの幅で刻む。1シリングはそれより細く、1ペニーは切り込みではなく一本の線、半ペニーは小さな穴で表した。体の寸法を目盛りにしているので、物差しが要らない。指でなぞれば読めるので、暗い所でも、読み書きのできない者にも分かる。棒の表面には、誰が、何のために、いつ納めたのかを文字で書き添えることもあった。
刻み終えると、棒を縦に割る。真ん中から均等にではなく、片方が長く残るように割った。長いほうはストックと呼ばれ、税を納めた者が受け取りの証として持ち帰る。短いほうはフォイルと呼ばれ、国庫が控えとして残す。株式を意味する英語のストックがここから来たという説もある。
なぜ割るのか。木目は、二本として同じものが無い。割れた面を合わせれば、二つが元は一本の棒だったことがすぐ分かる。片方の刻み目を削って増やそうとしても、もう片方と合わなくなる。偽造が極めて難しい。英語のタリーという語は、もともと二つのものがぴたりと合うことを意味するようになり、いまも勘定が合う、という意味で使われている。語の根は、ラテン語で切った枝を意味する言葉にある。割った二つを合わせて真偽を確かめる仕組みは、ほかの土地にもあった。中国の割符や、日本の割印も、同じ発想である。
この素朴な道具が、思いがけない働きをするようになった。国庫は、やがて税を受け取る前に割り符を出すようになった。来年の税収からこれだけ払う、という約束の証として、国に金を貸した者や物を納めた商人に渡すのである。受け取った者は、それを他人に譲ったり、割り引いて売ったりした。こうして木の棒は、国の借金の証書として人から人へと渡り歩いた。17世紀には、こうした割り符が国の財政の大きな部分を担っていた。国の借金を扱う新しい仕組みとして、1694年にイングランド銀行が設立されたとき(イングランド銀行の設立)、最初の資本の一部は割り符で払い込まれたとも言われる。財務府の倉には、何十万本もの棒が積み上がっていった。
18世紀の終わりになると、割り符はさすがに時代遅れと見なされるようになった。1782年に廃止を定める法ができ、最後の役人が退くのを待って、1826年に割り符の使用は終わった。会計は紙の帳簿に移った。そして、役目を終えた大量の古い棒が残った。
1834年、その処分が問題になった。貧しい人々に薪として配ってはどうかという案も出たが、退けられた。結局、ウェストミンスター宮殿の上院の地下にある暖房の炉で燃やすことになった。10月16日、二人の作業員が朝から棒を炉にくべ続けた。詰め込みすぎではないかと注意した者がいたことも、のちの証言に残っている。炉の煙道は熱で焼け、夕方、そこから床下の梁に火が移った。夜6時ごろには炎が噴き上がり、上院も下院も焼け落ちた。中世のウェストミンスター・ホールだけは、懸命の消火で辛うじて残った。
テムズ川の岸にも橋の上にも、見物人が押し寄せた。その中には画家のターナーもいて、燃えさかる議事堂を何枚もスケッチし、のちに油彩の作品に仕上げた。いまのイギリスの国会議事堂は、この火事のあとにチャールズ・バリーとオーガスタス・ピュージンの設計で建て直されたもので、ビッグ・ベンの名で知られる時計塔もそのときに建てられた。のちに作家ディケンズは講演でこの火事を取り上げ、古い木の棒を燃やすことにさえ融通のきかない役所の手順が、ついには議事堂を丸ごと燃やした、と官僚の惰性を皮肉った。
割り符の仕組みは、技術としては単純である。刻んで、割るだけだ。しかしそれは、二つのことを同時に解いていた。数を記録すること、そしてその記録を勝手に書き換えられないようにすることである。木目という、誰にも複製できない模様を、二つの片が分け持つ。古代メソポタミアの円筒印章が、彫られた図柄の唯一無二さで本物を保証したのと同じことを、木の繊維でやっていた。
会計は、紙へ移った。紙は軽く、かさばらず、細かく書ける。その代わり、木目のような偽造を防ぐ仕掛けを持たない。だから紙の会計には、署名や印、そして借りと貸しを二つの欄に分けて突き合わせる複式簿記の刊行のような、別の仕組みが必要になった。財務府の名と、議事堂を焼いた棒の物語は、記録を信じられるものにする工夫の長い歴史の一場面として残っている。