概要
イングランドの財務府は、木の棒に切れ込みを入れて金額を記した。千ポンドは手のひらの幅、一ペニーは細い線。刻んだ後で棒を縦に割り、片方を納税者が、片方を国庫が持つ。木目は二つと同じものがないので、合わせれば本物だと分かる。改竄が難しく、読み書きができなくても使える。この方式は六百年以上続き、割り符そのものが債権として転々と売買された。1834年、廃止された棒を国会議事堂の炉で燃やしたところ、煙突から火が移り、議事堂が全焼した。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
**棒**。
(——**イングランドの財務府**(Exchequer)。
〈**——**十二世紀から、**十九世紀まで**。
**——**六百年以上、**木の棒で、会計をしていた**。〉
**——**材**。
〈**——**ハシバミ**、あるいは、**柳**。
**——**まっすぐで、**割りやすい**。
**——**長さは、**二十センチから、二メートル以上**まで**。〉)
**刻み方**。
(——**幅で、**桁を、表す**。
〈**(1)**一千ポンド**——**手のひらの幅**の、切り込み**。
**(2)**そして、**百ポンド**——**親指の幅**。
**(3)さらに、**二十ポンド**——**小指の幅**。
**(4)そして、**一ポンド**——**大麦の粒**ほど**。
**(5)さらに、**一シリング**——**もう少し細い**。
**(6)そして、**一ペニー**——**切り込みではなく、**刻んだ線**。
**(7)さらに、**半ペニー**——**穴**。〉
**——**身体の寸法を、**単位にしている**。
〈**——**道具が、**要らない**。
**——**そして、**指で触れば、**読める**。
**〈——暗くても。**
**——読み書きが、できなくても。〉〉**
**——**さらに、**棒の側面に、**内容を、書く**ことも、あった**。
〈**——**誰から、**何のために、**いつ**。〉)
**割る**。
(——**刻んだ後で、**縦に、割る**。
〈**——**均等には、**割らない**。
**——**片方が、**長く残る**ように**。〉
**——**二つの部分**。
〈**(1)**ストック**(stock)——**長いほう**。
**〈——支払った側が、持つ。**
**——「株式」を意味するstockは、**ここから来ている**という説がある。〉**
**(2)**そして、**フォイル**(foil)——**短いほう**。
**〈——国庫が、控えとして、持つ。〉〉**
**——**なぜ、割るのか**。
〈**——**木目**は、**二つと、同じものが、無い**。
**——**割った面を、**合わせれば、**元が一本だったことが、分かる**。
**——**そして、**片方だけを、**偽造できない**。
**〈——刻み目を、増やそうとしても、**もう片方と、合わなくなる**。〉**
**——**「符合する」**という言葉は、**この動作そのものである**。〉
**——**似た仕組みは、**各地にある**。
〈**——**中国の**割符**。
**——**日本の**割印**。
**——**そして、**「タリー」**(tally)という語は、**ラテン語のtalea(切った枝)から来ている**。〉)
**貨幣になる**。
(——**思わぬことが、起きた**。
〈**——**国庫が、**先に、棒を、渡す**ようになった**。
**〈——「来年の税収から、**これだけ払う**」という証書として。〉**
**——**受け取った者が、**それを、他人に、譲る**。
**——**割引して、**売る**。
**——**そして、**転々と、流通した**。〉
**——**つまり**。
〈**——**木の棒が、**債券として、市場を、回った**。
**——**十七世紀には、**これが、国家財政の、大きな部分を、占めていた**。
**——**そして、**イングランド銀行の設立**(1694年)へ、繋がっていく**。〉
**——**数**。
〈**——**財務府には、**何十万本もの棒**が、積み上がっていた**。
**——**倉が、**いくつも、要った**。〉)
**1834年10月16日**。
(——**割り符の制度は、**1826年に、廃止された**。
〈**——**紙の帳簿に、**移った**。
**——**そして、**古い棒が、**大量に、残った**。〉
**——**処分**。
〈**——**貧しい者に、**薪として、配る**という案が、出た**。
**——**却下された**。
**〈——理由は、はっきりしない。**
**——「機密が漏れる」あるいは、**手続き上の問題**とされる。〉**
**——**そこで、**燃やすことにした**。
**——**場所は、**ウェストミンスター宮殿の、**上院の炉**。〉
**——**その日**。
〈**——**二人の作業員が、**朝から、棒を、くべ続けた**。
**——**「詰め込みすぎだ」**と、注意した者がいたと、証言に残っている**。
**——**煙突が、**過熱した**。
**——**そして、**煙道の割れ目から、**床下の梁に、火が移った**。〉
**——**夜**。
〈**——**午後六時ごろ、**炎が上がった**。
**——**上院と下院、**両方が、焼けた**。
**——**ウェストミンスター・ホールと、**宝物庫は、**辛うじて、残った**。〉
**——**見物人が、**集まった**。
〈**——**テムズの対岸にも、**橋の上にも**。
**——**ターナー**が、**その場で、**スケッチをしている**。
**〈——後に、二枚の油彩になった。〉〉**
**——**いまの国会議事堂**。
〈**——**この火事の、**後に、建てられたものである**。
**——**設計は、**チャールズ・バリーと、**オーガスタス・ピュージン**。
**——**ビッグ・ベンの塔も、**そのときのものである**。〉
**——**チャールズ・ディケンズ**が、**後に、講演で、こう言った**。
〈**——**古い棒を、**燃やすのに、**ふさわしい炉があった**。
**——**そして、**その炉が、**議事堂ごと、燃やした**、と**。
**——**官僚の惰性を、**皮肉ったものである**。〉)
**残ること**。
(——**六百年**。
〈**——**読み書きのできない社会で、**国家の会計が、回っていた**。
**——**技術としては、**単純である**。
**——**切って、**割るだけ**。〉
**——**だが、**二つのことを、同時に、解いている**。
〈**(1)**数を、**記録する**。
**(2)**そして、**改竄を、**物理的に、不可能にする**。
**〈——木目という、**複製できない模様**を、**割り符が、共有する**。**
**——[[cylinder-seal]]が、**印章の固有性**で、やったことを、**木の繊維で、やっている。〉〉**
**——**そして**。
〈**——**紙に、移った**。
**——**紙は、**軽く、嵩張らず、**細かく書ける**。
**——**その代わり、**木目が、無い**。
**——**代わりに、**署名と、印と、そして、複式簿記**([[double-entry-bookkeeping]])が、要った**。〉)