概要
後白河の子で、清盛に皇位を塞がれた王が、源頼政と共に令旨を諸国の源氏に送った。宇治で追いつかれ、頼政は平等院で自害し、王は逃げる途中で射られた。令旨は死後も生きて、頼朝と義仲が立った。5年の戦争の最初の一か月。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
本文
以仁王。1151年。後白河の第三皇子。 「母の家が低い」。親王にもなれない。「三条高倉の宮」。 八条院。鳥羽の娘。日本で最も土地を持つ女性。「猶子」。 1179年11月。清盛のクーデター。以仁王の領地が取り上げられた。 1180年2月、安徳天皇。3歳。清盛の孫。 「皇位は、閉じた」。 源頼政。76歳。「源氏で唯一、平家の下で公卿になった」。 4月9日、令旨。「東海・東山・北陸の源氏と兵に」。「平清盛を追討せよ」。 源行家が運んだ。伊豆の頼朝に4月27日。木曽の義仲に。 5月15日、漏れた。「以仁王を、土佐へ」。 王は女装して三井寺へ。 頼政も。 「延暦寺は来なかった。興福寺へ」。 5月25日、夜。宇治。 5月26日。宇治川。橋の板を外した。「橋合戦」。 平知盛、重衡。2万8000。 「足利忠綱が、馬で川を渡った」。 平等院。頼政。「埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける」。自害。 王は南へ。光明山の鳥居の前で、矢。30歳。 「首を見て、誰も、確かめられなかった。宮を見たことがある者が、少なかった」。 6月、平家は都を福原へ。 8月17日、頼朝。 9月、義仲。 「令旨」。 「王は死んだ。令旨は、死んでいないことにした」。 「以仁王は、生きて東国に、と頼朝は言わせた」。 5年。 1185年、壇ノ浦。 「宇治」。 平等院に、頼政の墓。「扇の芝」。 「頼政が、自害した場所」。 「鵺を射た男」。 「76歳の挙兵」。