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Event / できごと

ペニー・ブラックと郵便改革

The Penny Black
AD1840年5月6日
重要度 5
ロシア帝国大英帝国デンマークオスマン帝国ポルトガル帝国スウェーデン=ノルウェースペイン帝国オーストリア帝国エジプトスペインフランスモロッコAlgiersグレートブリテン及びアイルランド連合王国プロイセン両シチリア王国バイエルンTunisサルデーニャ王国TripolitaniaハノーファーCyrenaicaAD1840年5月6日ロンドン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1840年5月6日の版図を描いています(22勢力)

概要

それまでの郵便は、受け取る側が距離に応じて払った。高額で、受取拒否が多く、集金の手間が費用の大半を占めていた。ローランド・ヒルは、費用を分析して、距離はほとんど関係ないことを示した。かかるのは仕分けと配達である。だから、全国どこでも重さだけで決め、前払いにし、支払いの証拠として紙片を貼る。1オンスまで一ペニー。世界初の切手。10年で郵便物は5倍以上になり、識字と教育と、庶民の手紙の習慣が広がった。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

関わった人(1)

ローランド・ヒルAD1795年12月3日–AD1879年8月27日 · 考えた

本文

**それ以前の郵便**。

イギリスの郵便は、**受け取る側が払う**制度だった。

**着払い**である。

そして、料金は——

- **距離**で決まる。 - **紙の枚数**で決まる(重さではない。**紙が2枚なら、2倍**)。

**具体的に**。

1839年の料金表(一枚の紙の場合)。

- 15マイル(24km)まで——**4ペンス** - 300マイル(480km)まで——**11ペンス** - 700マイル以上——**1シリング(12ペンス)**

当時の**農業労働者の日給**が、**約1シリング**。

つまり——**遠方から一通の手紙を受け取るのに、一日分の賃金がかかる**。

**帰結**。

**(1)受取拒否**。

受け取る側が払うので、**払えなければ、受け取らない**。

配達人は、宛先まで行って、断られて、持ち帰る。**手間だけがかかって、収入がない**。

(推定で、配達された手紙の**相当な割合**が、受取拒否だった。)

**(2)不正**。

払わずに、情報を受け取る方法が、広く行われていた。

- **封筒の表に、暗号を書く**。受取人は、それを見て、内容を察して、**受け取りを拒否する**。

(「無事に着いた」なら、宛名の下に印を一つ。「病気」なら二つ。——これで、金を払わずに、情報が伝わる。)

- **議員の無料特権(フランキング)**。

国会議員は、自分の署名した手紙を**無料で送れた**。

そして、その特権が、**大量に濫用された**。議員が、友人と支持者のために、白紙の封筒に署名して配った。

(1830年代、無料で運ばれた郵便物が、全体の**相当な割合**を占めていた。ある推計では、**郵便収入の相当額が、この特権で失われていた**。)

**ローランド・ヒル**。

1795年、ウスターシャー生まれ。父は教師。

彼自身も、**教師**だった。

(12歳で父の学校の助手になり、兄弟とともに学校を経営した。生徒による自治、体罰の廃止、そして実験を重視する教育。当時としては、極めて先進的だった。)

その後、**南オーストラリア植民の委員会**の書記。

**彼は、郵政の人ではない**。まったくの外部者である。

**分析**。

1837年、『**郵便の改革——その重要性と実行可能性**』。

彼が行ったのは、**費用の分析**である。

彼は、ロンドンからエディンバラへ手紙を運ぶ費用を、項目ごとに分けた。

- 集配 - 仕分け - **輸送** - 配達 - そして、**料金の徴収**

結果——

**輸送の費用は、極めて小さい**。

(彼の計算で、ロンドンからエディンバラまで、一通あたり**36分の1ペンス**。既に、郵便馬車と、そして鉄道が走っている。一通を追加で運ぶ限界費用は、ほぼゼロである。)

**費用の大半は、仕分けと、配達と、そして——料金の計算と徴収である**。

(配達人が、一軒ごとに、距離と枚数を計算し、金を受け取り、釣りを渡し、拒否されれば持ち帰る。この手間が、最も高い。)

**提案**。

**(1)全国均一料金**。

距離に関係なく、同じ。

**(2)重さで決める**。枚数ではなく。

**1オンス(約28g)まで、1ペニー**。

**(3)前払い**。

送る側が払う。

**(4)支払いの証拠**。

前払いの証拠として、**紙片を貼る**。

(あるいは、あらかじめ料金分の印刷がされた封筒を使う。)

**反対**。

激烈だった。

**郵政省の官僚**が、猛反対した。

郵政長官**ライトフット卿**(第2代リッチフィールド伯)の言葉として伝わるもの——

「**私が今まで聞いた、最も乱暴で、最も途方もない、最も馬鹿げた計画である**」。

(彼らの論拠——料金を4分の1に下げれば、収入が4分の1になる。取扱量が増えれば、業務が破綻する。)

**それでも、通った**。

理由——**商人と、改革派の議員と、そして世論**が支持した。

(**マーサー・ハリソン**らが率いた「郵便改革協会」が、請願を集めた。ヒル自身は、極めて有能な広報者だった。彼は、数字を、誰にでも分かる形で示した。)

**1839年**、郵便料金法が成立。

**1840年1月10日**、**均一1ペニー郵便**が開始された。

**1840年5月6日**、**切手が発行された**。

**ペニー・ブラック**。

- **黒**地に、**ヴィクトリア女王**の横顔(15歳のときの肖像に基づく)。 - 額面 **ONE PENNY**。 - **国名が、書かれていない**。

(**世界最初の切手だから**、国名を入れる必要がなかった。

そして、その慣行が、いまも続いている。**イギリスの切手だけが、国名を書かない**。代わりに、君主の横顔がある。万国郵便連合が、この例外を認めている。)

- 発行枚数——約**6,880万枚**。

(だから、いまも**それほど珍しくない**。状態の良いものは高価だが、使用済みの並品は、数千円から買える。)

(同時に、**ペニー・ブルー**〈2ペンス〉も発行された。)

**問題**。

黒い切手に、**黒い消印を押すと、消印が見えない**。

(切手を洗って、再利用する者が現れた。)

**1841年**、切手の色が**赤茶(ペニー・レッド)**に変えられ、消印が黒になった。

**ペニー・ブラックは、1年で終わった**。

**効果**。

イギリスの郵便物の数。

- 1839年——**7,600万通** - 1840年——**1億6,900万通**(**2.2倍**) - 1850年——**3億4,700万通** - 1860年——**5億6,400万通**

(収入は、当初落ち込み、回復に十数年かかった。ヒルの予測より、時間がかかった。

しかし、**社会的な効果は、圧倒的だった**。)

**帰結**。

**(1)誰でも、手紙を書けるようになった**。

(それまで、庶民にとって手紙は贅沢だった。1ペニーなら、払える。)

**(2)識字への圧力**。

手紙が安いなら、読み書きができることの価値が上がる。

(郵便改革と、公教育の拡大が、同じ時期に進んだ。因果は複雑だが、相互に押し合った。)

**(3)出稼ぎと移民の家族**。

離れた家族が、繋がり続けられるようになった。

(アイルランドからアメリカへ、そしてイングランドの都市へ——19世紀の大移動の時代である。手紙が、その唯一の絆だった。)

**(4)通信販売、そして広告**。

**(5)クリスマス・カード**。

1843年、**ヘンリー・コール**(ヒルの協力者でもあった)が、最初の商業的なクリスマス・カードを作った。

(安く送れるようになったから、成立した商売である。)

**世界へ**。

- 1843年——ブラジル(「**雄牛の目**」)、スイスのチューリッヒ州とジュネーヴ州。 - 1847年——アメリカ、モーリシャス(「**ポスト・オフィス**」——世界で最も高価な切手の一つ)。 - 1849年——フランス。 - 1871年(明治4年)——**日本**。**前島密**が、イギリスの制度を研究して導入した。

(彼は、この年、イギリスへ渡っている。日本の最初の切手は「**竜文切手**」。)

- **1874年**——**万国郵便連合**(UPU)。ベルンで設立。

(22か国。これによって、**世界のどこへでも、自国の切手だけで送れる**ようになった。それまでは、通過する国ごとに、条約と料金の取り決めが必要だった。

UPUは、いまも国連の専門機関として存在する。**国際連合より、70年以上古い**。)

**ヒル**。

1846年、郵政省に入り、1854年、**郵政長官**(事務方の長)。

1860年、ナイト。

1879年、死去。83歳。

ウェストミンスター寺院に葬られた。

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