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Event / できごと

シラー『群盗』初演

Premiere of Schiller's The Robbers
AD1782年1月13日
重要度 4

概要

22歳の軍医が、公爵の軍医学校で夜に書いた劇。兄弟の憎しみ、盗賊団の首領になった長男、自由と反逆。マンハイムの劇場で、客が叫び、失神し、抱き合った。「疾風怒濤」。公爵は「これ以上書くな」と言い、シラーは逃げた。フランス革命はシラーに名誉市民権を贈った。『ドン・カルロス』『ヴァレンシュタイン』『ヴィルヘルム・テル』『歓喜に寄す』。

場所

マンハイム
49.49°N 8.47°E · ドイツ

関わった人(1)

フリードリヒ・シラーAD1759年11月10日–AD1805年5月9日 · 書いた

本文

ヴュルテンベルク公カール・オイゲンの「カール学院」(1770年、軍の孤児院から、士官と官吏の養成学校に)。生徒は公爵の「息子」で、家に帰れず、手紙は検閲され、時間割は分刻みで、公爵が自分で試験した。シラーは1773年、13歳で入れられた。法学、それから医学。1780年、軍医として卒業した(論文は3度書き直させられた)。月給18グルデン。

学校の中で、夜、禁じられた本を読んだ(シェイクスピア、ルソー、ゲーテの『ゲッツ』、クロプシュトック)。1777年頃から、劇を書いた。『群盗』。医学の論文を書きながら。友人に朗読した(森の中で)。1781年、自費で出版した(匿名。借金)。表紙に、怒った獅子と「In Tirannos(暴君に)」(第2版)。

マンハイムの国民劇場の支配人ダルベルクが読んで、上演を決めた。ダルベルクは時代を15世紀に変えさせ(当代の話は危険)、いくつかの場面を削らせた。

1782年1月13日、日曜日。マンハイム。シラーは、無断で(公爵の許可なく国境を越えた)、シュトゥットガルトから来て、客席で見た。

フランツとカール・モーア。伯爵の息子。弟フランツは醜く、冷酷で、計算する(「なぜ私は長男でないのか。なぜ自然は私にこの顔を与えたのか」)。兄カールは美しく、激しく、ライプツィヒで放蕩している。フランツが手紙を偽造して、父にカールを勘当させる。カールは友人たちと盗賊団を作って、ボヘミアの森へ。「私の体はこの法律に、この時代に、収まらない」「私は法律を憎む。法律は蝸牛の歩みにした、鷲の飛翔になるはずのものを」。盗賊団は暴れ、カールは自分が正義でないことを知る。フランツは父を塔に閉じ込め、アマーリアを狙い、良心の夢に襲われて、首を吊る。カールは父を見つけ、父は死に、アマーリアは「殺して」と言い、カールは殺す。最後、カールは自首する。11人の子を持つ貧しい日雇い労働者に、自分の首の賞金(1000ルイ・ドール)を取らせるために。

観客。同時代の記録(劇評家)。「劇場は精神病院のようだった。目を回し、拳を握り、足を踏み鳴らし、嗄れた叫び声。見知らぬ人同士が泣きながら抱き合い、女が失神して扉へ運ばれた。全体が、混沌の霧の中の解体のようだった。新しい創造が、その霧から現れようとしていた」。

カール・オイゲンは、シラーが2度目の無断外出(5月)をしたことを知って、14日の営倉に入れ、「以後、医学以外の物を書くことを禁じる」と命じた(スイスのグラウビュンデンから、劇の中の一言に抗議が来た、というのが口実)。1782年9月22日、夜、シラーは友人シュトライヒャーと、シュトゥットガルトを逃げた。公爵が同じ夜、ロシアの大公の訪問で花火を上げていた。マンハイム、バウアーバッハ(隠れ家)、マンハイム(劇場の専属作家、1年)、ライプツィヒ、ドレスデン。

『群盗』はドイツ中で上演された。「盗賊(ロイバー)」。若者が盗賊団を作って森へ行こうとした。「疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)」の最後の大きな劇。フランス革命政府は1792年8月26日、シラーを名誉市民にした(「ジル(Gille)」と綴りを間違えて。シラーに届いたのは1798年)。ヴェルディの『群盗(I masnadieri)』(1847年、ロンドン。ジェニー・リンド)。

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