概要
ハイダル・アリーの子。「マイソールの虎」。フランス人の将校を雇い、ロケット部隊を作り、絹と紙と貨幣を整え、暦を作った。フランス革命政府に使者を送り、ジャコバン・クラブの会員になった。ナポレオンがエジプトから手紙を書いた。4回の戦争。1799年、セリンガパタムの門で刀を持って死んだ。「羊として100年生きるより、虎として1日」。インドの民族主義の英雄で、ヒンドゥー教徒の弾圧者とも言われる。
関わったできごと(1)
セリンガパタムの陥落AD1799年5月4日 · 門で死んだ本文
1751年、デーヴァナハッリ(バンガロールの北)。ハイダル・アリーの長男。父は字が読めなかったが、息子に、ペルシア語、アラビア語、ウルドゥー語、カンナダ語、コーラン、法学、乗馬、射撃、フランス人の将校から軍事を学ばせた。17歳で第一次マイソール戦争に出た。
1782年、父が死んで、31歳。第二次戦争の途中。1784年、マンガロール条約で、会社と対等に講和した。イギリスがインドで対等に講和したのは、これが最後。
「マイソールの虎」。「神は虎の縞の中で私を守る」。虎の縞(バブリ)の兵の服、玉座(金の虎8頭の頭)、貨幣、大砲の砲口、剣の柄、「ティプーの虎」。虎が単独で狩る、獅子は群れる、と。「羊として100年生きるより、虎として1日生きるほうがよい」と言った、と伝える。
改革。新しい暦(ムハンマドの誕生からの「マウルーディー暦」)、新しい貨幣(ペルシア語とカンナダ語の銘)、度量衡、絹産業(中国の蚕を輸入して。マイソールの絹はいまも有名)、ムスカットへの交易船、灌漑(カーヴェリ川のダム。イギリスが完成させた)、国営工場、銀行。「ペルシア語の詔勅の数は、どのインドの王より多い」。ロケット。
宗教。ムスリムの王で、臣民の大半はヒンドゥー。シュリーランガパトナのランガナータ寺の隣に宮殿。シュリンゲリの僧院に手紙と寄進(マラーターが襲ったあと)。他方、マラバールとコダグ(クールグ)で、キリスト教徒とヒンドゥー教徒を大量に改宗させ、寺を壊し、人を移住させた(数万人)。「ジハード」を宣言した。両方が史料にある。
フランス。ルイ16世に使節(1788年、ヴェルサイユ)。革命政府と手紙。ジャコバン・クラブ(1797年、セリンガパタム。「自由の木」を植えた)。ナポレオン(1799年1月の手紙。届かなかった)。
1799年5月4日。負傷して担がれる途中、イギリス兵が金の帯留めを取ろうとして、ティプーが剣で斬り、撃たれた。48歳。翌日、父の墓の隣に、イギリスの軍が礼砲を撃って葬った。息子たちはヴェールールへ、のちカルカッタへ。
図書館2000冊はカルカッタ(アジア協会)とオックスフォード(ボドリアン)へ。剣はロンドンで競売され、2004年、インドの実業家ヴィジャイ・マリヤが買った。