概要
秋田の寺の子。11歳で北極を志した。陸軍。千島で越冬して仲間が死んだ。50歳で南極。開南丸。ロス棚氷。「大和雪原」。帰って講演で借金を返し、貧しく85歳まで生きた。白瀬の名は、南極の氷河と、日本の観測船に。
所属
日本関わったできごと(1)
白瀬矗の南極探検AD1912年1月 · 率いた本文
白瀬矗。 1861年7月20日。出羽。金浦。浄蓮寺。 「知行」。 「『北極』。11歳。佐々木節斎。『コロンブス。フランクリン』」。 「『酒を飲まない。茶を飲まない。湯を飲まない。火にあたらない。寒中に綿入れを着ない』」。 「陸軍教導団」。 1893年。 「『郡司大尉』」。 「『占守島』」。 「『越冬。19人。10人が』」。 1895年。 「日露戦争」。 1909年。 「『ピアリーが。北は、もう』」。 「『南』」。 1910年。「『後援会』」。 「『大隈』」。 「『帝国議会。3万円。否決』」。 「『芝浦。11月29日。5万人』」。 「『204トン』」。 「『開南丸』」。 「『樺太犬。30頭』」。 「『山辺安之助。花守信吉。樺太アイヌ』」。 1911年3月。「『氷』」。 「『シドニー』」。 「『日本の新聞。「白瀬は、逃げた」』」。 「『ダイヴィッド教授が』」。 1912年1月16日。 「『フラム』」。 「『大和雪原』」。 1月28日。 「『80度5分』」。 「『引き返した』」。 「『南極点は、無理だと、彼は、シドニーで、分かっていた』」。 「『それでも、行った』」。 6月20日。 「『5万人』」。 「『借金』」。 「『4万円』」。 「『講演。1000回』」。 「『20年』」。 「『家を売った』」。 「『満州』」。 「『1935年、完済』」。 1946年9月4日。 「『愛知県挙母(豊田)。借家。二階』」。 「『85歳』」。 「『新聞に、2行』」。 「『白瀬氷河』」。 「『1957年、日本の南極観測』」。 「『しらせ』」。 「『白瀬南極探検隊記念館。にかほ市。1990年』」。 「『開南丸の模型』」。 「『彼は、南極点に行けなかった』」。 「『彼が、行った』」。