概要
「和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ」。「篤く三宝を敬へ」。「詔を承りては必ず謹め」。役人の心得。儒教と仏教と法家。憲法という名だが、憲法ではない。『日本書紀』が全文を載せ、後世の作という説が江戸時代から消えない。
場所
34.47°N 135.82°E · 日本・奈良県
関わった人(1)
聖徳太子AD574年–AD622年 · 作ったと伝える本文
推古12年(604年)4月3日。 「皇太子、親ら肇めて憲法十七条を作りたまふ」。 一に曰く、和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ。 二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。 三に曰く、詔を承りては必ず謹め。君をば天とす、臣をば地とす。 四に曰く、群卿百寮、礼を以て本とせよ。 五に曰く、饗を絶ち欲を棄てて、明らかに訴訟を弁めよ。 六に曰く、悪を懲し善を勧むるは、古の良き典なり。 七に曰く、人各任有り。 八に曰く、群卿百寮、早く朝りて晏く退でよ。 九に曰く、信は是れ義の本なり。 十に曰く、忿を絶ち瞋を棄てて、人の違ふことを怒らざれ。人皆心有り。我必ずしも聖に非ず、彼必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ。 十一に曰く、功過を明らかに察して、賞罰必ず当てよ。 十二に曰く、国司・国造、百姓に斂めとることなかれ。国に二の君非ず。 十三に曰く、諸の官に任せる者、同じく職掌を知れ。 十四に曰く、群臣百寮、嫉妬あることなかれ。 十五に曰く、私に背きて公に向くは、是れ臣の道なり。 十六に曰く、民を使ふに時を以てするは、古の良き典なり。 十七に曰く、夫れ事は独り断むべからず。必ず衆と与に宜しく論ふべし。 「役人の心得」。 「憲法」。「憲」は法。「憲法」の語は『管子』『国語』に。 「儒教。『論語』『礼記』『孝経』。仏教。法家。『管子』『韓非子』」。 「一条と十七条。『和』と『衆と論ふ』」。 「十条。『共に是れ凡夫のみ』」。 「国司」。604年に、国司は、ない。「後の作」。狩谷棭斎。津田左右吉。 「『日本書紀』の編者が、720年に」。 「『書紀』の文と、憲法の文は、違う。もっと古い」。「太子の時代の何かが、元に」。 「決着していない」。 「1889年、大日本帝国憲法。伊藤博文が『聖徳太子の憲法』に言及」。 「1946年」。 「『和』」。 「『和』が、日本の憲法の、最初の言葉」。 「そう、言われる」。 「太子が、言ったか、どうか」。