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Event / できごと

ローマとササン朝のアルメニア分割

Partition of Armenia
AD387年
重要度 3

概要

争ってきた緩衝地帯を二つに割って線を引いた。以後200年、東の国境はおおむね動かない。二つの帝国が互いを滅ぼしきれないと認めた線になる。

場所

アンティオキア
36.20°N 36.16°E · トルコ・ハタイ県

本文

アルメニアを、二つに割った。

それまで、ここは緩衝地帯として 双方が影響力を争ってきた。

キリスト教を最初に国教とした国でもある。

分割の後、東の国境はおおむね200年動かなかった。

小競り合いはあった。 だが、相手を滅ぼそうとする戦争は減る。

互いに、滅ぼしきれないと認めたことになる。

その安定が崩れるのが、7世紀初めになる。

ヘラクレイオスとホスロー2世が、 26年の全面戦争を戦った。

双方が消耗しきったところへ、 アラブ軍が現れる。

ササン朝は消え、 ビザンツは領土の半分を失った。

200年守った線が、 それを捨てた戦争の後に、両方とも失われた。

同じ時代のできごと

チャンパとミーソンAD4世紀から14世紀にかけて十進法と位取りの記数法AD4〜6世紀カッパドキア教父AD370年頃近肖古王の平壌攻めAD371年高句麗への仏教伝来AD372年フン人の西進とゲルマンの移動AD375年顧愷之「女史箴図」AD380年頃前秦の華北統一AD376年