概要
アムステルダムのユダヤ人共同体から23歳で破門されたレンズ磨きが、死の年に友人が遺稿を出した。幾何学の形式。定義、公理、定理、証明。「神即自然」。実体は一つ。精神と物体はその属性。自由意志はなく、必然を理解することが自由。「永遠の相の下に」。危険な本として100年隠され、ゲーテとヘーゲルとアインシュタインが読んだ。
場所
52.37°N 4.90°E · オランダ
関わった人(1)
バールーフ・スピノザAD1632年11月24日–AD1677年2月21日 · 書いた本文
バールーフ・デ・スピノザ。1656年7月27日、アムステルダムのポルトガル系ユダヤ人共同体(タルムード・トーラー)は「ヘレム(破門)」を宣告した。「彼は昼、呪われよ。夜、呪われよ。寝るとき、起きるとき、出るとき、入るとき、呪われよ。誰も彼と話してはならない、書いてはならない、同じ屋根の下にいてはならない、4キュビト以内に近づいてはならない、彼の書いたものを読んではならない」。理由は「忌まわしい異端と怪物的な行い」。何を言ったかは記録がない。神は自然と同じで、魂は不死でなく、律法は真ではない、と言った、と後の証言。23歳。
父の商売を捨てた。名をベネディクトゥスに。レンズを磨いた(顕微鏡と望遠鏡。ホイヘンスが彼のレンズを褒めた)。レインスブルフ、フォールブルフ、ハーグ。小さな部屋。友人の輪(コレギアント派、メノー派、自由思想家)。オルデンバーグ(王立協会)、ライプニッツ(1676年に訪ねた)。
『知性改善論』(未完)。『デカルトの哲学原理』(1663年、生前に名前で出した唯一の本)。『神学政治論』(1670年、匿名、ハンブルクの偽の出版地)。聖書は人間の書いた歴史の文書で、預言者は想像力が強い人で、奇跡はない。国家は思想の自由を守るべきだ(「国家の目的は自由である」)。禁書。「地獄で悪魔と堕落したユダヤ人が作った本」。1673年、ハイデルベルク大学の教授職の招きを、「教える自由がどこまであるか分からない」と断った。1672年、オランダの指導者デ・ウィット兄弟が群衆に殺されて、スピノザは「究極の野蛮人(ultimi barbarorum)」と書いた紙を持って出ようとして、家主が止めた。
『エチカ(幾何学的秩序で証明された倫理学)』。1660年代から、1675年に完成。出版しようとして、噂が広まって、止めた。1677年2月21日、日曜日、ハーグで死んだ。44歳。肺(結核、レンズの粉、と言われる)。医者(友人のマイヤー)がいた。友人が机の中の原稿をアムステルダムのリューウェルツへ送り、12月、『遺稿集』。著者名は「B.D.S.」。翌年、禁書。
第1部「神について」。定義1「自己原因」、定義3「実体」。定理14「神以外にいかなる実体も存在せず、考えられない」。定理15「あるものは全て神の内にあり、神なしには何も存在も考えもできない」。「神即自然(Deus sive Natura)」。神は世界を作ったのでなく、世界そのものの秩序。神は自由意志で選ばない。全ては必然。第2部「精神について」。精神と身体は一つの実体の二つの属性。平行論。第3部「感情について」。「私は人間の行動と欲望を、線、面、立体を扱うように扱う」。コナトゥス(自分の存在を続けようとする努力)。喜び、悲しみ、欲望。第4部「人間の隷属について」。第5部「知性の能力または人間の自由について」。感情を理解することで、感情から自由になる。「神への知的な愛」。「永遠の相の下に(sub specie aeternitatis)」。最後の言葉。「全ての高貴なものは、稀であると同時に、困難である」。
100年、「スピノザ主義者」は無神論者の意味だった。1785年、ヤコービが「レッシングはスピノザ主義者だった」と暴露して、ドイツで論争。ゲーテ、ヘルダー、ヘーゲル(「哲学はスピノザから始めなければならない」)、シェリング。ニーチェ「私には先駆者がいた」。アインシュタインは「私はスピノザの神を信じる」(1929年)。ドゥルーズ、ネグリ。
ハーグの家(パヴィリューンスフラハト72番地)は残っている。