できごと

駅と待合室

The station and the waiting room
AD1830年9月15日
重要度 4
ロシア帝国大英帝国デンマークオスマン帝国ポルトガル帝国スウェーデン=ノルウェースペイン帝国オーストリア帝国エジプトスペインフランスモロッコAlgiersグレートブリテン及びアイルランド連合王国プロイセン両シチリア王国バイエルンTunisサルデーニャ王国TripolitaniaハノーファーCyrenaicaAD1830年9月15日リヴァプール
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1830年9月15日の版図を描いています(22勢力)。

概要

リヴァプール・アンド・マンチェスター鉄道が開業した。世界で最初の、旅客の定期運行を主とする鉄道である。馬車は客が集まれば出たが、鉄道は時刻表で出る。だから客が、あらかじめ来て、待つ。切符を買う窓口、荷物を預ける場所、そして等級ごとに分かれた待合室が要った。開業式で、下院議員ハスキソンが線路上で轢かれて死んでいる。速く動く機械の前で、人がどう振る舞うべきかを、誰もまだ知らなかった。

場所

リヴァプール
53.41°N -2.99°E · イギリス・マージーサイド州

本文

鉄道の前、長い旅は乗合の駅馬車で始まった。出発するのは宿屋の中庭からで、時刻はおおよそでしかない。客がそろえば出るし、そろわなければ待つ。着く時刻も、道のぬかるみ具合と馬の調子しだいで変わった。待つ場所は宿屋の酒場で、旅人はそこで飲みながら出発を待った。駅という専用の建物は要らなかった。

1830年9月15日、イングランド北西部でリヴァプール・アンド・マンチェスター鉄道が開業した。二つの都市を結ぶ約56キロの路線で、蒸気機関車が旅客を定期的に運ぶことを主な仕事にした、世界で最初の鉄道である。1825年に開業したストックトン・アンド・ダーリントン鉄道(鉄道の開業)のほうが早いが、こちらは石炭の輸送が中心で、旅客の車両は馬が引いていた時期もあった。前年のレインヒルの試験(ロケット号とレインヒル)で選ばれたジョージ・スティーブンソン父子の機関車が、新しい鉄道の顔になった。

ロケット号とレインヒルに関わる図版:Rainhill Trials in the Illustrated London News
ロケット号とレインヒルWikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

この鉄道は、両端に旅客のための建物を必要とした。リヴァプールのクラウン・ストリート駅と、マンチェスターのリヴァプール・ロード駅である。後者の建物はいまも残り、現存する世界最古の旅客駅とされる。なぜ建物が要ったのか。鉄道は客が集まるのを待たず、時刻表どおりに出るからだ。客のほうが先に来て、待たなければならない。遅れれば乗れない。待つ人々のための場所が要り、切符を売る窓口が要り、荷物を預かる場所が要った。

切符もこの時代に形が整った。初めは手書きの紙だったが、1830年代の半ばに、別の鉄道の駅員トマス・エドモンドソンが、通し番号を刷った小さな厚紙の切符と、日付を打ち込む機械を考え出した。何枚売れたかが番号で数えられるようになり、駅員が運賃をくすねることも防げた。この形の切符は、日本でも長く「硬券」として使われた。

待合室は、等級ごとに分けられた。一等、二等、三等。初期の三等の客車は、屋根の無い貨車同然のもので、客は雨ざらしで運ばれた。1844年の鉄道規制法が、屋根と座席のある三等車を一日一往復は安い運賃で走らせるよう鉄道会社に義務づけたのは、そのためである。女性のための待合室も設けられ、暖炉や鏡が置かれた。駅には大きな時計が掛けられ、その時計がやがて町の公の時刻になった。各地でばらばらだった時刻を、鉄道は一つの標準時にそろえていく(鉄道と標準時)。

鉄道と標準時に関わる図版:Exchangeclock
鉄道と標準時Wikimedia Commons Rodw at English Wikipedia · Public domain

開業式の日には、鉄道の時代の最初の死亡事故として語り継がれる出来事が起きている。式には首相のウェリントン公爵をはじめ多くの名士が招かれていた。途中、列車が給水のためにパークサイドで止まると、乗客が線路に降りた。動く機械のそばで線路に降りることがどれほど危ないか、まだ誰も身にしみていなかったのである。前の商務院総裁で下院議員のウィリアム・ハスキソンは、政治的に対立していたウェリントンの車両へ歩み寄り、挨拶を交わした。和解の機会を探していたとも言われる。そこへ隣の線路を、ロケット号が近づいてきた。ハスキソンは慌てて車両の扉にすがろうとして線路に落ち、脚を轢かれた。彼はその夜のうちに死んだ。

それでも行事は続けられ、列車はマンチェスターへ向かった。到着した一行を待っていたのは、選挙制度の改革に反対する首相ウェリントンに反感を持つ群衆で、罵声や物が投げつけられたという。速く動く機械の前で人がどう振る舞えばよいのかは、このあと少しずつ学ばれていく。ホームの端に線を引き、柵を立て、線路に降りてはならないと掲示する。駅は、人と機械を安全に引き合わせるための装置にもなった。

リヴァプール・アンド・マンチェスター鉄道の開業記念列車
リヴァプール・アンド・マンチェスター鉄道の開業記念列車Wikimedia Commons A.B. Clayton · Public domain

駅はやがて大きく、壮麗になっていった。ロンドンのユーストン駅(1837年)は古代ギリシャ風の巨大な門を構え、パディントン駅(1854年)は技師ブルネルの設計で、鉄とガラスの大屋根がプラットホームを覆った。ゴシック様式のセント・パンクラス駅(1868年)、ニューヨークのグランド・セントラル駅(1913年)、そして東京駅(1914年)。こうした駅は、しばしば大聖堂にたとえられた。鉄とガラスの高い屋根の下で、人々が待ち、別れ、迎える。旅に出る人の期待と見送る人の名残が集まる場所になった。鉄道が町に人を集めると、トマス・クックの企画したような団体旅行も生まれる(団体旅行)。

いま、駅の待合室は減りつつある。運行が正確になり、時刻に合わせて行けばよくなった。手元の画面で遅れも分かる。駅は買い物の場所になり、待つ場所から買う場所へと性格を変えた。ベンチの数は減り、残ったベンチには横になれないよう仕切りがつけられることも多い。誰を長居させたくないのかを、椅子の形が語っている。百九十年前、駅は人が待つために建てられた。いまの駅は、人をなるべく待たせず、留まらせないように作られている。

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