キープ
概要
インカには文字がなかったと言われるが、記録は膨大にあった。主縄から何十本もの副縄を垂らし、そこに結び目を作る。結びの位置が桁を、形が数を表し、十進法で記す。ゼロは、その桁に結び目を作らないことで示した。色と撚りの向きも情報を持つ。倉の中身、人口、労役の割り当てが、これで管理された。読み書きする専門職がいて、駅伝の走者が運んだ。スペイン人は当初これを証拠として法廷で認め、後に偶像崇拝として焼いた。数の部分は解けたが、物語を記したとされる縄は、いまも読めない。
場所
-13.53°N -71.97°E · ペルー
本文
インカには文字が無かった、と繰り返し書かれてきた。ユーラシアの大帝国と比べたときに欠けているものとして、である。だが、インカには膨大な記録があった。どの倉に何がどれだけ納められているか、どの村に何人が住んでいるか、誰が何日の労役に出たか。南アメリカの太平洋岸からアンデスの高地まで、数百万の人々を抱えた帝国(インカ帝国の拡大)は、それを細かく記録し、管理していた。その道具がキープである。ケチュア語で結び目を意味する。
キープは、一本の主縄に、何本もの副縄を垂らした形をしている。副縄は数本のものもあれば、千本を超えるものもある。副縄からさらに枝の縄が出て、階層をなすこともある。材料は綿か、リャマやアルパカの毛で、さまざまな色に染められていた。そして縄には、いくつもの結び目が作られている。

数の書き方は十進法である。主縄に近いほうから、千の位、百の位、十の位、一の位と、縄の上の位置が桁を表す。それぞれの位置に作った結び目の数が、その桁の数になる。一の位だけは結び方が違い、ひねりを何回も巻きつけた長い結び目で2から9を、8の字の形の結び目で1を表した。だから、触っただけでどこが数の末尾かが分かる。そして0は、その桁の位置に結び目を作らないことで表した。空いた場所が0である。インドで0を数として扱う考えが生まれたのとは別に(ブラーマグプタのゼロ)、アンデスでも桁の空白を記す方法が使われていたことになる。
この読み方を明らかにしたのは、アメリカの研究者リーランド・ロックで、1912年のことである。彼はさらに、上位の縄の数が下位の縄の数の合計になっている例を示した。足し算が合う。検算の仕組みが、縄の組み立てそのものに組み込まれていたのである。

だが、キープに載っているのは数だけではない。縄の色は十数種類が使い分けられ、縄を撚る向きが右か左か、結び目の傾く向き、縄の素材、副縄が主縄のどちら側から垂れているか、といった違いもある。これらが何を意味するのかは、完全には分かっていない。色が穀物や布や武器といった物の種類を表していたという説や、人名や地名を記した縄があったという説がある。
スペイン人の記録には、キープを手にした者が、歴史や法や罪状を読み上げるように語ったという証言が繰り返し出てくる。そうした物語のキープは、いまも読めない。数の部分は解けたが、語りの部分は解けていない。近年は、千点を超えるキープを記録したデータの集まりを使い、植民地時代の文書と照らし合わせる試みが続いている。同じ村の同じ年の納税の記録と、数が合うキープもいくつか見つかっている。それでも、キープを読めたと言える段階には、まだ達していない。

インカの国の仕組みそのものも、十を単位に組み立てられていた。10世帯、100世帯、1000世帯、1万世帯ごとに長が置かれ、労役や貢納はこの単位で割り当てられたとされる。十進法で数を記すキープは、こうした国の作りとよく噛み合っていた。
キープを作り、読み、預かったのは、キープカマヨックと呼ばれる専門の役人だった。村や地方ごとに置かれ、その知識は親から子へ受け継がれたとされる。キープは、帝国に張り巡らされた道を通って運ばれた。道沿いの小屋に詰めたチャスキと呼ばれる走者が、次の小屋の走者へ手渡しで送り継ぐ。一日に200キロを超える速さで伝わったという記録がある。海辺で獲れた魚が、新しいまま高地の都クスコの王の食卓に届いたという話も伝わる。紙も文字も車輪も持たずに、インカは帝国の記録と通信を回していた。食料を蓄える巨大な倉の管理も、キープによって支えられていた(チューニョと倉)。
1532年にスペイン人がやって来て帝国が倒れたあと(インカ帝国の滅亡)、キープはすぐに消えたわけではなかった。スペイン人はしばらくのあいだ、これを貢納の記録として使い、裁判でも証拠として採り上げた。キープカマヨックが証人として呼ばれることもあった。先住民の側も、征服の前に我々はこれだけしか納めていなかった、と訴えるためにキープを使った。
しかし1583年、リマで開かれた教会の会議は、キープを偶像崇拝の道具とみなし、焼き捨てることを決めた。多くのキープが失われた。いま世界に残っているのは千点ほどで、その多くは海岸の乾いた砂漠の墓から見つかったものである。乾いた砂が、綿や毛の繊維を守った。それでもアンデスの一部の村では、家畜を数えるためなどに、キープに似た結び目の記録が19世紀まで使われ続け、いまも儀式のために作られる村がある。
インカに文字が無かったと言うとき、問われているのは、何を文字と呼ぶかである。平らな面に線を引いて言葉を写したものだけを文字と呼ぶなら、キープは文字ではない。だが、記録し、しまっておき、遠くへ運び、別の人が読み返せるなら、それを何と呼べばよいのか。メソポタミアでは、数を数える小さな粘土の玉(粘土のトークン)が、やがて粘土板の文字へと育った。キープは、文字にはならなかった。それは能力の差ではなく、通った道が違っただけである。縄の結び目は、帝国を治めるのに十分な記録の仕組みだった。