概要
フリードリヒ2世が一般地方学事通則を出し、5歳から13歳の子に就学を義務づけた。七年戦争の直後である。目的は、読み書きできる兵士と、従順で勤勉な臣民を作ることだった。教員の養成、教科の指定、そして出席の強制。19世紀に整備が進み、学年制、時間割、卒業試験(アビトゥア)が揃った。この模型が、日本、アメリカ、フランス、そして世界中に写された。近代の学校の形は、ほとんどがここに遡る。
場所
52.52°N 13.40°E · ドイツ
本文
**前史**。
義務教育の起源は、**宗教改革**に遡る。
**ルター**が、1524年、ドイツの市当局に宛てた書簡で、学校の設立を訴えた。
理由——**すべての信徒が、聖書を自分で読まねばならない**。
(カトリックでは、聖書は聖職者が読み、解釈する。プロテスタントは、各人が直接読むことを求めた。だから、読めなければならない。)
彼は、**女子の教育**も主張した。
(そして彼は、親が子を学校にやらないなら、当局が強制すべきだ、とも書いた。)
**最初期の義務教育令**。
- **1592年**、**プファルツ=ツヴァイブリュッケン公国**。ヨーロッパで最初の就学義務の規定とされる。 - **1619年**、**ヴァイマル公国**。6歳から12歳の全児童。 - **1642年**、**ゴータ公国**(エルンスト敬虔公)。「学校規程」。極めて詳細な教育課程を定めた。当時、ヨーロッパで最も進んだ制度とされ、「ゴータの農民は、他所の貴族より学がある」と言われた。 - **1686年**、**スウェーデン**。教会法で、全国民に読解能力を義務づけた。牧師が各家庭を巡回して、読めるか試験した。読めない者は、結婚と聖餐を許されない。
(この制度の結果、スウェーデンとフィンランドは、18世紀にヨーロッパで最も識字率の高い地域になった。ただし、**書く**能力は、含まれていない。読めればよかった。)
**プロイセン**。
- **1717年**、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(「兵隊王」)が、就学の義務を布告した。ただし、実施は不徹底だった。 - **1736年**、彼は、学校の維持のための基金を設けた。
**1763年**。
**フリードリヒ2世(大王)**が、「**一般地方学事通則**(Generallandschulreglement)」を公布した。
起草は、聖職者ヨハン・ユリウス・ヘッカー(ベルリンで実業学校と教員養成所を作っていた人物)。
**内容**。
- **5歳から13歳(または14歳)まで**の全児童に、就学を義務づける。 - 学校のない村には、学校を作る。 - 教員は、**資格を持った者**でなければならない(教員養成所の設置)。 - 教科——読み、書き、算術、宗教、そして歌。 - **出席を記録する**。欠席には罰金。 - 授業料は、貧しい者は免除。
**なぜ、この時期か**。
**1763年**は、**七年戦争**(1756〜63年)の終わった年である。
プロイセンは、辛うじて生き残った。人口の1割近くを失い、経済が疲弊していた。
(フリードリヒ2世自身、この戦争で何度も自殺を考えたと書いている。ロシアの女帝エリザヴェータの死という偶然がなければ、プロイセンは滅んでいた。)
**目的**。
彼が書いた文書と、当時の政策文書から読み取れる目的。
**(1)兵士**。
読み書きのできる兵士は、命令を理解し、書類を扱い、そして——訓練が速い。
(プロイセン軍の強さは、規律と、標準化された訓練にあった。それには、識字が有利である。)
**(2)臣民**。
従順で、勤勉で、時間を守り、権威に服する国民。
(当時の学校令の文書に、「神を畏れ、上に立つ者に従うことを教える」という趣旨の記述が繰り返し現れる。)
**(3)行政**。
読み書きのできる下級官吏と、村役人。
**(4)宗教**。
敬虔主義(ピエティスムス)の影響。個人が聖書を読み、内面の信仰を持つ。
(フリードリヒ2世自身は、啓蒙専制君主であり、無神論に近い立場だったが、宗教教育の統治上の有用性は認めていた。)
**実施**。
すぐには機能しなかった。
- 教員が足りない。当初、多くの村では、**退役した下士官**が教員を務めた(フリードリヒ2世が、彼らに職を与えるためにそうさせた面がある)。 - 校舎がない。 - 親が、子を働かせる。 - 罰金を取り立てられない。
**19世紀の整備**。
1806年、**イエナ・アウエルシュテットの戦い**。プロイセンがナポレオンに壊滅的に敗れた。
領土の半分を失い、屈辱的な条約を結んだ。
**この敗北が、教育改革の直接の引き金になった**。
**フィヒテ**の『**ドイツ国民に告ぐ**』(1807〜08年、フランス占領下のベルリンで行われた連続講演)。
彼の主張——プロイセンが立ち直る道は、**新しい教育**によって国民を作り直すこと以外にない。
そして、**ヴィルヘルム・フォン・フンボルト**が、1809年から1年半、内務省の教育部門を率いた。
彼が整えたこと。
- **三段階の学校体系**。初等学校(フォルクスシューレ)→ ギムナジウム → 大学。 - **教員の国家資格**。教員は、試験を受け、国家に認定される。教育は、専門職になった。 - **アビトゥア**(1788年に導入され、1812年に制度化)。ギムナジウムの卒業試験。これに合格しなければ、大学に入れない。 - そして、**ベルリン大学**(1810年)。
**プロイセン方式**。
19世紀半ば、この制度が、世界の模範と見なされた。
その特徴。
- **学年制**。年齢で区切って進級する。 - **時間割**。教科ごとに時間を区切り、鐘で交代する。 - **一斉授業**。一人の教師が、多数の生徒に、同じ内容を同時に教える。 - **教科書の標準化**。 - **教員養成**。 - **試験と成績**。 - **卒業証書**。 - そして——**義務と、強制**。
**輸出**。
- **アメリカ**。1843年、**ホーレス・マン**(マサチューセッツ州教育委員会の書記)がプロイセンを視察し、詳細な報告書を書いた。彼が推進した公立学校(コモン・スクール)の運動が、アメリカの教育制度の基礎になった。 - **フランス**。1833年のギゾー法、1881〜82年の**ジュール・フェリー法**(無償、義務、世俗)。 - **日本**。1872年の学制はフランスの制度を参考にしたが、1886年の学校令以降、**ドイツ(プロイセン)の制度を強く参照した**。森有礼が文部大臣として整えた師範学校の制度、そして帝国大学。 - ロシア、オーストリア=ハンガリー、そして各地の植民地。
**批判**。
20世紀から、この「プロイセン型」の学校への批判が、繰り返されてきた。
- **画一性**。年齢で区切り、同じ内容を同じ速度で教える。 - **工場のような構造**。鐘、時間割、規律、そして標準化された「製品」。(イヴァン・イリイチ『**脱学校の社会**』1971年。) - 主体性より、従順を育てる。 - **選別の装置**。試験と成績によって、社会階層を再生産する。(ブルデュー『**再生産**』1970年。)
**それでも**。
この制度によって、**普遍的な識字**が実現した。
世界の識字率は、1820年に約12%、1900年に約21%、2020年に**約87%**である。
その大半は、公費で運営される、義務の、学年制の学校によって達成された。
いま、世界のほぼどこの国でも、学校の形は、驚くほど似ている。
年齢で分けた教室、時間割、教科書、試験、そして卒業証書。
その原型は、1763年の、七年戦争で疲弊したプロイセンの布告にある。