概要
アンデス原産。16世紀にスペインが持ち帰ったが、200年、「聖書に出てこない」「ハンセン病を起こす」と嫌われて、家畜の餌だった。プロイセンのフリードリヒ2世は、農民に栽培を命じ、効かないので、畑に見張りを立てて「王の作物だから盗むな」と触れさせた。農民が夜に盗んで植えた。フランスではパルマンティエが同じ手を使った。同じ面積で穀物の2〜4倍を養え、地中にあるので軍隊に踏まれない。ヨーロッパの人口が増えた。
場所
52.52°N 13.40°E · ドイツ
本文
ジャガイモ。アンデス(ペルーとボリビアの高地、チチカカ湖の周辺)で、7000〜1万年前に栽培化された。インカでは主食で、凍結乾燥した保存食(チューニョ)が国の倉に積まれていた。品種は数千。
1530年代、スペイン人が持ち帰った。初めは、船の食糧として。1570年頃、セビリアの病院の記録に、患者の食事として買われている。
200年、広まらなかった。理由。
(1)聖書に出てこない。旧世界の作物ではない。 (2)ナス科。マンドラゴラやベラドンナ(有毒)と同じ科で、葉と実に毒がある(実際、緑化した芋と芽にはソラニンがある)。 (3)土の中にできる。「地下のものは不浄」という感覚。 (4)形が歪んでいて、ハンセン病や梅毒を起こす、という俗説(「似たものは似たものを生む」という当時の考え方)。 (5)種でなく塊茎で増える。教会の十分の一税の仕組みが、穀物を前提にしていた。
家畜の餌と、飢饉のときの食糧だった。
プロイセン。フリードリヒ2世(大王)。七年戦争(1756〜63年)で国土が荒れ、飢饉が来た。1756年から、彼は繰り返し「ジャガイモを植えよ」という命令(カルトッフェルベフェール、15回とも)を出した。農民は従わなかった。
伝説。彼は、王領の畑にジャガイモを植えさせ、そこに兵を立てて見張らせた。ただし、「昼だけ、目立つように、しかし熱心でなく」。農民は「王が見張るほど貴重なものだ」と考えて、夜、盗んで、自分の畑に植えた。
(この話は19世紀に広まったもので、同時代の史料に確証はない。しかし、ポツダムのサンスーシ宮殿にある彼の墓には、いまも訪問者がジャガイモを供えている。)
フランス。アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエ。七年戦争でプロイセンの捕虜になり、3年、ジャガイモを食べて生き延びた。帰国して、その栄養を研究した。1772年、パリ医学部が「食用に適する」と認めた。
彼も同じ手を使った。パリ郊外サブロンの荒地に植え、昼だけ兵に守らせた。夜に盗まれた。ルイ16世とマリー・アントワネットに花を贈り、王が上着の穴に挿し、王妃が髪に飾った。宮廷が真似した。
アイルランド。17世紀から主食になった。理由。イギリス人の地主が土地を持ち、アイルランド人の小作は狭い区画しか耕せなかった。ジャガイモは、1エーカーで穀物の2〜4倍の人を養える。地上に穂が出ないので、軍隊が通っても踏み荒らされにくい(アイルランドは戦乱が続いた)。掘って、茹でるだけで食べられる(製粉も窯も要らない)。ミルクと一緒に食べれば、栄養がほぼ足りる。18世紀のアイルランドの労働者は、1日に4〜6キロのジャガイモを食べた記録がある。
人口。ヨーロッパの人口は、1700年に約1億、1800年に1億8000万、1900年に4億。この増加の何割かがジャガイモによる、という推計がある(ナン=チエンの2011年の研究は、旧世界の人口増加の約4分の1、都市化の約4分の1をジャガイモで説明できる、とした)。
そして。単一の作物に依存することの危険が、1845年に現れた。