甲骨文字

概要
亀の甲羅を焼いて割れ目で占い、問いと答えを彫りつけた。漢字はここから続いている。
場所
36.13°N 114.31°E · 中国・河南省安陽市
本文
殷の王たちは、何をするにも占った。亀の腹側の甲羅や牛の肩甲骨の裏に、楕円と円のくぼみを彫っておく。そこへ熱した棒を当てると、表に「卜」の字のような割れ目が走る。その割れ目の形で吉凶を読み、何を問うたか、王がどう判断したか、実際にどうなったかを、刃物で骨に刻みつけた。これが甲骨文字である。
刻まれた記録には決まった型がある。いつ、誰が占ったかを書く前置き、問いの文、王の判断、そして結果。占いを担当した者は「貞人」と呼ばれ、名前が分かっている者も多い。問いの中身は、雨は降るか、今年の実りはあるか、この戦に勝つか、狩りに出てよいか、祖先にどの生け贄を捧げるか。王の歯が痛むのは、どの祖先の祟りか、という問いもある。

日付は、十干と十二支を組み合わせた60日で一巡りする数え方で書かれた。いまも「甲子」や「丙午」として残る干支である。10日を一つの区切りとし、その区切りの最後の日に「次の10日に災いは無いか」と占うことが、決まりごととして繰り返された。同じ問いを、肯定の形と否定の形で並べて刻んだ骨も多い。「雨が降るか」と「雨は降らないか」を両方占い、神意を確かめたのである。
最もよく知られる例の一つが、武丁の妃婦好の出産を占ったものだ。「婦好が子を産むのはよいことか」と問い、王は「よい」と判断した。結果は女の子で、「よくなかった」と書き添えてある。王の判断が外れたことまで正直に残しているところに、これが神への問いの記録であると同時に、王の権威を示す文書でもあったことがうかがえる。当時の人々にとって、どちらだったのかは今も議論がある。

文字が刻まれた甲骨が見つかったのは、殷の後期の都があった河南省安陽の近く、殷墟と呼ばれる遺跡からである。時代はおおむね紀元前13世紀から前11世紀、武丁の治世以降の約200年にあたる。それより前の殷の文字は、ほとんど見つかっていない。いきなり完成した形で現れるため、それ以前に竹や木に書いた長い前史があったと考えられているが、実物は残っていない。
占いに使う材料そのものも、王の力を示していた。大きな亀の甲羅は、中原の近くでは手に入りにくく、南方から納められたものが多いとみられる。甲羅の縁には、誰がいくつ納めたかを記した書き込みがあることもある。殷の王が、遠くの諸族から貢ぎ物を受け取る立場にあったことが、占いの道具の裏側から読み取れる。殷の成立から数百年を経た殷は、こうした広い網の上に立っていた。

再発見の話はよく知られている。1899年、北京の学者・王懿栄が、薬として買った「竜骨」に文字があることに気づいた、というものだ。ただし、この筋書きには後から整えられた部分があるとも指摘される。確かなのは、19世紀末に骨董商を通じて文字のある骨が学者の手に渡り始め、1903年には劉鶚が拓本集を出版したことである。それまで竜骨は砕かれて漢方薬にされており、どれだけの史料が薬として消えたかは分からない。
出土地を突き止めたのは羅振玉だった。続いて王国維が、骨に現れる王の名を集めて並べ、司馬遷の『史記』殷本紀に書かれた王統とほぼ一致することを示した。殷は、それまで文献の中にしかいない王朝で、実在を疑う人もいた。それが、同時代の一次史料によって確かめられたことになる。

1928年からは、中央研究院による殷墟の組織的な発掘が始まった。1936年には一つの穴から1万7000片余りの甲骨がまとまって見つかっている。これまでに出土した甲骨は合わせて十数万片とされ、確認された字の種類は4000ほど、そのうち読みが定まっているのは1000余りにとどまる。半分以上の字は、いまも意味が分からない。
骨に文字が刻まれているという噂が広まると、値が上がり、偽物も出回った。初期に集められた資料には、本物の骨に後から字を彫ったものが混じっていることがある。学者たちは、刃の運び、字の並び、割れ目との位置関係を手がかりに、真偽を見分ける方法を積み上げていった。殷を滅ぼした周の側でも甲骨による占いは続き、陝西省の周の故地からは、殷のものよりはるかに細かい字を刻んだ甲骨が見つかっている。

甲骨文字は、漢字の最も古いまとまった姿である。「日」「月」「山」「水」「人」のように、物の形を写した字は、今の字形と見比べても面影が分かるものが多い。殷から周の青銅器の銘文、秦の篆書、漢の隷書、そして楷書へと、字体は大きく変わったが、系統は一度も途切れていない。3000年以上にわたって同じ系統の文字が使われ続けている例は、ほかに無い。2017年、甲骨文はユネスコの「世界の記憶」に登録された。
骨に刻まれた問いからは、殷の社会の姿も見えてくる。周囲の諸族との戦い、捕虜を生け贄にした祭祀、祖先を何代にもわたって規則正しく祭る暦。文字は、まず神と祖先に向けて書かれた。人どうしの契約や物語を書くために使われるのは、もっと後のことになる。