概要
建設中のノートルダム大聖堂で、レオニヌスとペロティヌスが、聖歌の上に別の声部を重ねた。オルガヌム。下の声部が一つの音を長く伸ばし、その上で新しい旋律が動く。声部は2つ、やがて3つ4つ。同時に鳴る音の関係を書き分ける必要から、音の長さを表す記譜法(モーダル記譜)が生まれた。西洋音楽が、時間を刻んで書けるものになった。石の建築と、音の建築が、同じ場所で同時に立ち上がった。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
パリ、シテ島。1163年、ノートルダム大聖堂の礎石が置かれた。工事は150年以上続く。内陣が使えるようになったのが1182年頃。
その内陣で、聖歌が歌われた。そして、ある時期から、聖歌の上に、別の声が重ねられるようになった。
**オルガヌム**。9世紀の理論書には、既に平行の重唱(4度や5度で並行して歌う)が書かれている。11〜12世紀、サン・マルシャル(リモージュ)とサンティアゴ・デ・コンポステーラで、下の声が音を長く伸ばし、その上で別の声が自由に動く形が現れた。
ノートルダムで、これが規模を持った。
**レオニヌス**(レオナン、12世紀後半)。『大オルガヌム集』を編んだ、と後世の証言(イギリスの学生「アノニマス4世」の記述)にある。二声。
**ペロティヌス**(ペロタン、1200年前後)。レオニヌスの曲を「短くし、より良くした」。そして、三声(トリプルム)と四声(クアドルプルム)を書いた。『地上のすべての国は』(Viderunt omnes)、『すべての人は見た』(Sederunt principes)。クリスマスと聖ステファノの日のための曲。
聞こえ方。下の声(テノル。聖歌の旋律を、一音ずつ、極端に引き伸ばす)が、一つの音を数十秒鳴らし続ける。その上で、二つ三つの声が、細かく動き、絡み、ぶつかり、また協和音に落ち着く。
石造りの高い天井が、残響を長く保つ。伸ばされた音が空間に溜まり、上の声がその中を動く。
**なぜ記譜が変わったか**。
複数の声が同時に歌うには、「誰がいつ、どの長さの音を出すか」が決まっていなければならない。単旋律なら、言葉の抑揚に任せられる。同時に鳴らすなら、時間を割り振らなければならない。
そこで、**モーダル記譜法**。6つのリズム型(モドゥス)を決め、音符の連なりの形(リガトゥーラ)でどの型かを示す。長短長短、短長短長。3拍子が基本(三位一体の完全性、という理屈も付けられた)。
13世紀後半、フランコ・ド・ケルンが、音符の形そのものに長さを持たせた(定量記譜法)。ロンガ、ブレヴィス、セミブレヴィス。ここから、現代の五線譜まで、直線でつながる。
**意味**。
音楽が、記憶するものから、設計するものに変わった。作曲家は、頭の中で複数の声を同時に組み立て、紙の上で検算し、それを他人に演奏させることができる。作曲という職能が生まれる。
そして、音楽が、演奏より先に存在するものになった。
同じ建物の中で、石工が、飛梁と尖頭アーチで重さを分散させ、壁を薄くし、高さを上げ、ガラスを嵌めていた。上へ伸びる構造。声も、同じことをした。
14世紀、フィリップ・ド・ヴィトリの『アルス・ノヴァ』(新しい技法、1322年頃)。2拍子が認められ、より短い音符が使われた。ギヨーム・ド・マショー。教皇ヨハネス22世は1324年、教令でこの新しい音楽を非難した。「音符を細かく切り刻み、走り回り、耳を酔わせ、癒すべきものを傷つけている」。
批判は、いつも、新しい音楽に向けられる。