できごと

ノートルダム楽派

Notre-Dame school
AD1200年頃
重要度 4
北極圏の海獣狩猟民フィン・ウゴル系タイガの狩猟採集民トゥアレグの遊牧諸部族クマン(キプチャク)ベルベル諸部族アイユーブ朝キエフ・ルーシブワイフ朝ファーティマ朝神聖ローマ帝国サーミそのほかのルーシ諸公国ノルウェーヴォルガ・ブルガールムワッヒド朝東ローマ帝国ノヴゴロド公国マクリアウラジーミル・スーズダリ公国ルーム・セルジューク朝ポーランド王国スウェーデンブルガール可汗国アンジュー帝国ハンガリー王国ガーリチ=ヴォルィーニ公国アルメニアケルト系の諸王国キーウ公国IbaditesComté de ToulouseデンマークLeónブルゴーニュポルトガルスコットランドフランス王国ジョージアDutchy of BeneventoAD1200年頃パリ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1200年頃の版図を描いています(39勢力)。

概要

建設中のノートルダム大聖堂で、レオニヌスとペロティヌスが、聖歌の上に別の声部を重ねた。オルガヌム。下の声部が一つの音を長く伸ばし、その上で新しい旋律が動く。声部は2つ、やがて3つ4つ。同時に鳴る音の関係を書き分ける必要から、音の長さを表す記譜法(モーダル記譜)が生まれた。西洋音楽が、時間を刻んで書けるものになった。石の建築と、音の建築が、同じ場所で同時に立ち上がった。

場所

パリ
48.86°N 2.35°E · フランス

本文

1163年、パリのセーヌ川の中州シテ島で、新しい大聖堂の礎石が置かれた。司教モーリス・ド・シュリーが始めたこの工事は、その後100年以上続く。最初に仕上がったのは祭壇のある東の内陣で、1182年頃には主祭壇が献堂された。まだ身廊も正面も足場に囲まれたまま、内陣では毎日の礼拝が始まった。その礼拝の場で、ヨーロッパの音楽を大きく変える試みが行われていた。

教会の歌は、それまで一つの旋律を皆で同じに歌うものだった(グレゴリオ聖歌の成立)。その上に、別の声を重ねる工夫は9世紀からあった。当時の理論書には、聖歌の旋律に4度や5度離れた声を平行に添えて歌うやり方が書かれている。これをオルガヌムと呼んだ。11世紀から12世紀にかけて、南フランスのリモージュの修道院や、巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラでは、新しい形が現れる。下の声が聖歌の音を長く引き伸ばし、その上で別の声が自由に動く。

ノートルダムで、これが大きな規模を持った。名が伝わるのは二人である。13世紀の後半にパリで学んだイギリスの学生と見られる無名の書き手(「アノニムス4世」と呼ばれる)が、二人のことを書き残した。レオニヌスは優れたオルガヌムの作り手で、礼拝の一年分のオルガヌムを集めた『オルガヌム大全』を作った。その後に出たペロティヌスは、レオニヌスの曲を短くし、より良く手直しし、さらに3つの声、4つの声の曲を作った、という。

ペロティヌスの作として名高いのが、4声の『地上のすべての国は見た(ヴィデルント・オムネス)』と『君主たちは座して(セデルント・プリンキペス)』である。前者はクリスマス、後者は翌日の聖ステファノの日のための曲である。パリの司教が1198年と1199年に、祭日の礼拝で3声や4声のオルガヌムを歌うことを定めた文書が残っており、これらの曲と結びつける研究者もいる。

聞こえ方は独特である。いちばん下の声は、聖歌の旋律を一音ずつ極端に引き伸ばし、一つの音を何十秒も鳴らし続ける。その上で二つ、三つの声が細かく跳ね、絡み合い、ぶつかり合っては、また澄んだ響きに落ち着く。石造りの高い天井は響きを長く保ち、伸ばされた音が空間に溜まって、その中を上の声が動き回る。建物そのものが、楽器の一部だった。

複数の声を同時に歌うには、困ったことがある。誰が、いつ、どれだけの長さの音を出すかが決まっていなければ、声はばらばらになる。一つの旋律なら言葉の抑揚に任せておけばよいが、重ねるなら時間を割り振らなければならない。ノートルダムの音楽家たちは、6つのリズムの型を決め、音符のつながり方でどの型かを示す書き方を工夫した。長い音と短い音を一定の型で繰り返す、3拍を単位とする書き方である。3を完全な数とする三位一体の考えが、その理屈づけに使われた。

13世紀の後半になると、ケルンのフランコと呼ばれる理論家が、音符の形そのものに長さを持たせる書き方をまとめた。長い音、短い音、さらに短い音を、別々の形で書き分ける。ここから、いまの五線の楽譜までは、ほぼ一本の道でつながっている。また、オルガヌムの上の声に別の歌詞をつける試みから、モテットという新しい曲の形が生まれ、ラテン語の宗教の歌詞とフランス語の恋の歌詞を同時に歌うような曲まで現れた。

この変化の意味は大きい。音楽は、覚えて伝えるものから、紙の上で設計するものに変わった。作り手は頭の中で複数の声を組み立て、紙の上で響きを確かめ、それを他人に歌わせることができる。曲は、歌われる前から存在するものになった。作曲という仕事は、ここから始まったと言ってよい。

同じ建物では、石工たちが、尖ったアーチと外から壁を支える飛び梁で重さを逃がし、壁を薄くし、天井を高く上げ、大きな窓にステンドグラスをはめていた。この建て方は、パリ北郊の修道院で始まったばかりだった(サン・ドニ修道院とゴシックの始まり)。石は上へ伸び、声は上へ重なった。石の建築と音の建築が、同じ場所で同時に立ち上がっていた。

14世紀の初め、パリの音楽家フィリップ・ド・ヴィトリらが「新しい技法(アルス・ノヴァ)」を唱え、2拍子を認め、さらに細かい音符を使い始めた。その代表がギヨーム・ド・マショーで、彼の『ノートルダム・ミサ』(マショー『ノートルダム・ミサ』)は、一人の作り手がミサの通常文を通して多声で作った曲として最初期のものである。教皇ヨハネス22世は1320年代、教令でこの新しい音楽を非難し、音符を細かく刻んで走り回り、祈りの言葉を聞き取れなくしていると嘆いた。新しい音楽は、いつの時代も、まず眉をひそめられる。

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