できごと

ネアンデルタール人の消滅

Extinction of the Neanderthals
約4万年前
年に諸説あり重要度 5
約4万年前ジブラルタル
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている約4万年前の版図を描いています。

概要

30万年ヨーロッパに住んだ人類が、サピエンスの到来から数千年で消えた。滅ぼしたのか、混じったのか。いまの人の遺伝子に数%が残っている。

場所

ジブラルタル
36.14°N -5.35°E · イギリス領ジブラルタル

本文

ネアンデルタール人の名は、1856年にドイツのデュッセルドルフ近郊、ネアンデル谷の石灰岩の採石場で見つかった骨に由来する。実はそれより前、1829年にベルギーで子どもの頭骨が、1848年にはジブラルタルで成人の頭骨が出ていたが、当時はそれが別の人類だとは誰も気づかなかった。太い眉の隆起と低い頭をもつネアンデル谷の骨も、初めは病気の人の骨ではないかと言われた。人類に別の種がいたという考えは、ダーウィンの『種の起源』(1859年)のあとで少しずつ受け入れられていく。

いまの理解では、ネアンデルタール人とサピエンスの祖先が分かれたのは50万年以上前とされる。スペインのシマ・デ・ロス・ウエソスで出た約43万年前の骨にはすでにネアンデルタール人の特徴が現れており、40万年前ごろから彼らはヨーロッパと西アジアに広がっていた。のちには中央アジアからシベリアのアルタイ山地にまで達している。体は短く頑丈で、寒い土地に向いた体つきをしていた。脳の容量は平均でサピエンスと同じか、やや大きい。

ボフニツェ文化の削器(モラヴィア博物館、チェコ)
ボフニツェ文化の削器(モラヴィア博物館、チェコ)Wikimedia Commons Don Hitchcock · CC BY 4.0

暮らしぶりも、かつて想像されたような野蛮なものではなかった。ムスティエ文化と呼ばれる手の込んだ石器を作り、火を使い、大型の獣を狩った。骨折が治った跡のある骨も多く、怪我人や病人が仲間に養われていたと考えられる。死者を埋めた例もある。イラクのシャニダール洞窟で花とともに葬られたとされた例は、花粉が後から動物に運ばれた可能性も指摘されているが、埋葬そのものを示す遺跡はほかにもある。鷲の爪を使った装身具や、洞窟に残る顔料の跡のように、象徴を使っていたことをうかがわせる発見も続いているが、年代や作り手をめぐって議論がある。

アフリカで生まれたホモ・サピエンスの出現の子孫がヨーロッパに入ってきたのは、4万5000年前ごろになる。それから数千年のあいだ、二つの人類は同じ大陸に住んでいた。2014年に発表された各地の遺跡の年代の見直しでは、ネアンデルタール人の痕跡はおよそ4万年前までに途絶えるとされた。ジブラルタルのゴーラム洞窟には、さらに後の2万8000年前ごろまで彼らが生き延びたとする説がある。イベリア半島の南端が最後の避難所だったという見方だが、年代の測り方に異論があり、決着していない。

ジブラルタル議会
ジブラルタル議会Wikimedia Commons Certo Xornal from Ribeira, Galicia, Espa�a · CC BY 2.0

なぜ消えたのか。長く対立してきたのは、サピエンスが取って代わったという見方と、両者が混じり合ってサピエンスに吸収されたという見方だった。取って代わったとする側にも、直接の暴力、獲物や土地をめぐる競争、サピエンスのほうが広い交易の網と大きな集団を持っていたことなど、いくつもの説明がある。急な気候の寒冷化や、イタリア南部の大噴火(約3万9000年前)の影響を挙げる研究もある。ネアンデルタール人の集団はもともと小さく、遺伝的な多様性が低かったことも分かっている。

流れを変えたのは遺伝学だった。2010年、スヴァンテ・ペーボらのチームがネアンデルタール人のゲノムの概要を発表し、アフリカの外に祖先をもつ現代人が、ゲノムの1〜4%を彼らから受け継いでいることを示した。のちの研究で数字は2%前後に絞られ、東アジアの人びとはヨーロッパの人びとよりやや多く持つことも分かった。同じ年、シベリアの洞窟で見つかった指の骨から、デニソワ人という別の人類の存在も明らかになる。2018年には、ネアンデルタール人の母とデニソワ人の父をもつ少女の骨まで報告された。人類の種は、出会えば交わっていた。ペーボはこれらの仕事で、2022年のノーベル生理学・医学賞を受けている。

ジブラルタル港(左)と市街
ジブラルタル港(左)と市街Wikimedia Commons Olaf Tausch · CC BY 3.0

受け継がれた遺伝子は、いまの私たちの体でも働いている。皮膚や毛髪、免疫にかかわる部分に多く残り、寒い土地や新しい病原体に適応するのに役立ったと考えられている。一方で、新型コロナウイルス感染症の重症化のしやすさにかかわる遺伝子の領域がネアンデルタール人に由来する、という研究も出た。

混じったことは確かになった。それでも、ネアンデルタール人に特有の体の形をもつ集団は消えている。交わりながら、競争にも敗れ、数の少ない側が大きな集団に呑み込まれていった。両方が起きたと考えるのが、今の大勢の見方になる。

物語「『サピエンス全史』で読む歴史」で、ハラリはこの二つの説を並べて第1章を書いている。原著が出た2011年は、ゲノムの結果が出た直後にあたる。本は交雑があったことを認めたうえで、それでもなぜ他の人類が皆消えたのかと問い、サピエンスだけに起きたとする認知革命に答えを求めていく。ヨーロッパで最も古い洞窟壁画の一つショーヴェ洞窟の壁画が描かれたのは、ネアンデルタール人が姿を消して間もないころのことになる。

ネアンデルタール人が消えてから、地上の人類はサピエンス一種だけになった。シベリアのデニソワ人も、インドネシアのフローレス島にいた小柄な人類も、ほぼ同じころまでに姿を消している。数十万年にわたって複数の人類が同時に生きていたことを思えば、一種しかいない今のほうが、長い歴史の中では例外になる。

動画(2)

The biggest myths about Neanderthals - Bruce HardyTED-Ed野蛮で愚かだったという通念を、証拠で一つずつ崩す
When We Met Other Human SpeciesPBS Eons滅ぼしたのではなく混じった、という側の証拠を遺伝子から追う

出典(1)

ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』第1章 唯一生き延びた人類種

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