ショーヴェ洞窟の壁画
概要
馬、獅子、犀、そして壁に押し当てた手。1994年の発見時、これほど古いとは誰も信じなかった。描いた人が何を思っていたかは、分からないままになる。
場所
44.39°N 4.42°E · フランス・アルデシュ県
本文
1994年12月18日、南フランスのアルデシュ川の峡谷で、ジャン=マリー・ショーヴェ、エリエット・ブリュネル・デシャン、クリスチャン・イレールの三人が、崖の岩の隙間から風が吹き出しているのに気づいた。風は、奥に空洞がある印になる。岩をどけて入り込むと、広い洞窟が続いていた。ランプの光の中に、赤い線で描かれた小さなマンモスが現れた。
奥へ進むと、絵は数百に増えた。洞窟は数百mにわたって続き、描かれた動物は400を超え、14の種類にわたる。馬、野牛、オーロックス、鹿もいるが、目立つのは獅子、熊、ケブカサイ、マンモスのような、狩りの主な獲物ではない危険な獣だった。ラスコーの壁画やアルタミラの壁画で主役になる馬や野牛とは、そこが違う。

技法も驚かれた。木炭で輪郭を描いた後、指や手で擦ってぼかし、立体感を出している。描く前に壁の表面を削って白くした場所もある。何頭もの獅子が同じ方向を見つめる大きな壁、角を突き合わせる二頭のサイ、脚を何本も重ねて走る動きを表したらしい野牛。岩の膨らみを、そのまま動物の体の丸みに使っている。赤い顔料をつけた手のひらを押しつけた跡や、手の形を残した跡もある。
床には、ホラアナグマの骨が数多く散らばり、熊が冬眠の巣にしていた跡が、壁の爪痕として残っている。一つの岩の上には、熊の頭骨が置かれていた。人が置いたものかどうかは分からない。天井から垂れ下がる岩には、女性の下半身と野牛の頭が重なり合うように描かれた絵もある。人と獣のあいだのような姿は、ドイツのライオンマン像を思わせる。壁には、松明をこすりつけて火の勢いを戻した黒い跡も残っていて、その煤も年代を測る材料になった。

放射性炭素年代は、最も古い絵について約3万6000年前を出した。その後の研究で、人が洞窟に入った時期は大きく二度、約3万7000年前から3万3500年前と、約3万1000年前から2万8000年前だとされている。ラスコーのおよそ2倍の古さになる。入口は2万年以上前に崖の崩落で塞がれ、それ以来、人も大きな動物も入れなかった。絵が昨日描いたように見えるほど保存がよかったのは、このためになる。
発表の当時、この年代は長く疑われた。絵は単純なものから複雑なものへ少しずつ進んだ、と考えられていたからだ。ラスコーより洗練された絵が、ラスコーの倍も古いはずがない。しかし測定は繰り返され、洞窟の崩落の年代など別の方法による結果も矛盾しなかった。いまは受け入れられている。氷河期の絵は、最初からかなり完成された形で現れたことになり、見直されたのは美術の進歩という考え方のほうだった。

洞窟は発見後すぐに閉じられた。ラスコーが公開の後、見学者の息と持ち込まれた微生物で壁を傷めたことの教訓だった。研究者も、年に限られた日数しか入れない。2014年に世界遺産に登録され、2015年には近くに実物大の複製が作られて、一般の人はそこで絵を見る。ヴェルナー・ヘルツォーク監督が特別に許しを得て洞窟の中を撮った記録映画もある。
描いた人が何を信じていたかは、分からない。狩りの呪い、祖霊、呪術師の幻視、成人の儀礼。どれも当時の人に聞けない以上、推測になる。ただ、暗い洞窟の奥まで火を持って入り、そこで描いたことは確かだ。洞窟の中に人が住んだ跡はほとんど無い。暮らしの場ではなく、絵を描き、何かをするための場所だったと考えられている。

『サピエンス全史』は第3章で、狩猟採集民の心の世界について、分かっていることより分かっていないことのほうが多い、と書くのに、こういう壁画を例にしている(物語「『サピエンス全史』で読む歴史」)。同じ頃のドイツでは、象牙の獅子人の像が彫られていた。絵を描き、像を彫る力は、4万年近く前には、ヨーロッパの別々の場所ですでに花開いていた。遠いオーストラリアにも、古くから続く岩絵の伝統がある(オーストラリア先住民の岩絵)。