ライオンマン像
概要
マンモスの牙を彫った、獅子の頭を持つ人。実在しないものを形にした、いま知られている最も古い証拠になる。
場所
48.55°N 10.17°E · ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州
本文
1939年8月、ドイツ南西部、シュヴァーベン地方の石灰岩の谷にあるホーレンシュタイン=シュターデル洞窟で、発掘の最後の日に、マンモスの牙の小さな破片がまとまって見つかった。数日後に第二次世界大戦が始まり、発掘は打ち切られる。破片は箱に入れられ、ウルムの博物館の収蔵庫に置かれたままになった。
30年後の1969年、考古学者ヨアヒム・ハーンが200を超える破片を組み合わせ、それが一つの像だと気づいた。頭は獅子で、体は人のように二本の足で立っている。腕は体の脇に下ろされ、片腕には横に刻んだ線が並ぶ。その後も別の破片が見つかり、2009年からの洞窟の再発掘で、さらに数百の小片が掘り出された。2013年に組み直され、像はほぼ完全な形になった。高さは約31cm。いまはウルム博物館にある。

年代は約4万年前とされる。像の出た層の骨などの放射性炭素年代から、およそ4万年前から3万5000年前の幅で考えられている。アフリカで生まれたホモ・サピエンス(ホモ・サピエンスの出現)がヨーロッパにやってきて間もない、オーリニャック文化と呼ばれる時期にあたる。同じ頃のヨーロッパには、まだネアンデルタール人もいた(ネアンデルタール人の消滅)。
素材はマンモスの牙で、道具は石の刃しかない。硬い象牙を削り、耳の形や腕の線を刻むには長い時間がかかる。同じものを実際に作ってみた実験では、数百時間を要するとの見積もりが出ている。氷河期の狩猟採集民の集団が、それだけの手間を、食べ物にも道具にもならないものにかけたことになる。
獅子は、当時ヨーロッパにいたホラアナライオンだろうと考えられている。いまのライオンより大きく、ショーヴェ洞窟の壁画の壁にも描かれた、最も危険な獣だった。その頭を持つ人は、どこにもいない。見たものを写したのではなく、見たことのないものを作っている。実在しないものを形にした証拠として、いま知られている最も古いものの一つになる。
像が男か女かについても、議論がある。最初は男と見られたが、のちに女と見る研究者も現れ、いまは決めない立場が多い。何のための像かも分からない。儀礼の道具、物語の登場人物、守り神、獣に姿を変える呪術師。どれも推測にとどまる。手がかりの一つは、数十km離れたホーレ・フェルス洞窟から2002年に出た、高さ2.5cmほどの小さな獅子人の浮き彫りになる。同じ姿が別の場所でも作られていたのなら、獅子の頭の人は一人の彫り手の思いつきではなく、この地方の人びとが共有していた存在だったことになる。洞窟の奥の、暮らしの場から離れた小さな空間で見つかったことから、特別な場所に置かれていたのではないかとも言われる。
この地方のほかの洞窟からは、同じ時期の象牙の小さな動物の像や、ハゲワシの骨で作った笛、豊満な女性の小像も出ている。2017年、これらの洞窟群は「シュヴァーベン・ジュラの洞窟群と氷河期の芸術」として世界遺産に登録された。造形と音楽の、いま知られている最も古い証拠の一部が、この狭い谷あいに集まっている。
『サピエンス全史』は第2章でこの像を挙げる(物語「『サピエンス全史』で読む歴史」)。サピエンスは、見たことも触れたこともないものについて語れるようになった。神や精霊や国家や会社のような、共有された想像を信じることで、見知らぬ者どうしが大勢で協力できるようになった、というのが本の中心の主張で、それを認知革命と呼ぶ。獅子の頭の人は、その想像が物として残った最古の手がかりの一つとして置かれている。
ただし、像を作った人びとの言葉は残っていない。像があることは、存在しないものを思い描く力が4万年前にあったことを示す。しかしその力がいつ、どのように生まれたかまでは語らない。像はそれより前に作られた、腐って消えた木や皮の作品の、たまたま残った一つかもしれない。