できごと

長屋王の変

Nagaya Incident
AD729年(神亀6年)
重要度 4
古シベリアの狩猟採集民唐突厥ツングース系の人びと吐蕃吐蕃渤海ウイグルカルルク高句麗タイ系の諸王国日本Nan-Zhaoアイヌ新羅ヒンドゥーの諸国真臘チャンパドヴァーラヴァティーAD729年(神亀6年)平城京
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD729年(神亀6年)の版図を描いています(19勢力)。

概要

天武の孫、左大臣長屋王が「密かに左道を学んで国家を傾ける」と密告され、兵に囲まれて妻子と共に自殺した。藤原の四兄弟が光明子を皇后にするために。8年後、四兄弟は天然痘で同じ年に死に、「長屋王の祟り」と言われた。1988年、邸宅跡から木簡が出た。

場所

平城京
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県

本文

長屋王は、天武天皇の長男で壬申の乱に功のあった高市皇子の子である。母は天智天皇の娘の御名部皇女で、妻の吉備内親王は元明天皇の娘、元正天皇の妹にあたった。天武と天智の両方の血を引き、妻の血筋まで含めれば、皇位を継いでもおかしくない家だった。奈良の都で右大臣、さらに724年に聖武天皇が即位すると左大臣に進み、朝廷の政治の頂点に立った。漢詩を好み、邸宅に新羅の使いや文人を招いて宴を開いた。唐の僧に贈る袈裟に「山川は域を異にすれども、風月は天を同じくす」と縫い取らせ、それが鑑真の心を動かして日本へ渡る一つのきっかけになったという話も伝えられている。

一方、藤原不比等の4人の息子、武智麻呂・房前・宇合・麻呂は、父の死後、朝廷での力を伸ばそうとしていた。聖武天皇の母の宮子も、夫人の光明子も、不比等の娘である。724年、聖武が即位したとき、母の宮子を「大夫人」と呼ぶ勅が出されると、長屋王は律令の定めと違うと異を唱え、勅を改めさせた。律令を盾に筋を通す長屋王は、藤原の兄弟にとって目障りな存在になっていった。

Prince Nagaya
Wikimedia Commons Unknown · Public domain

727年、光明子は皇子を産んだ。基王と呼ばれるこの子は、生まれて1か月ほどで皇太子に立てられたが、翌年、満1歳にならないうちに死んだ。同じ年、聖武の別の夫人の県犬養広刀自が安積親王を産む。藤原氏の血を引く皇子はいなくなった。光明子を、天皇の位を継ぐこともできる皇后の座につけたい。しかし皇后は皇族から立てるのが決まりで、筋を通す左大臣がいる限り、それは難しかった。

729年(神亀6年)2月10日、漆部造君足と中臣宮処連東人という二人の下級の役人が、長屋王はひそかに左道(呪いの術)を学んで国家を傾けようとしている、と密告した。その夜のうちに、藤原宇合らが六衛府の兵を率いて長屋王の邸宅を囲んだ。翌日、舎人親王、新田部親王、藤原武智麻呂らが邸に出向いて罪を問いただし、12日、長屋王は自ら命を絶った。妻の吉備内親王と、膳夫王・桑田王・葛木王・鉤取王の4人の息子も、首をくくって後を追った。遺体は生駒山に葬られ、朝廷は、吉備内親王には罪が無いので例に従って葬るように、と命じている。不比等の娘を母に持つ長屋王の別の子どもたちは、罪に問われなかった。

長屋王墓(奈良県生駒郡平群町)
長屋王墓(奈良県生駒郡平群町)Wikimedia Commons Degueulasse · CC BY 3.0

半年後の8月、元号は天平と改められ、光明子は皇后に立てられた。皇族でない臣下の娘が皇后になるのは、伝説の時代の仁徳天皇の皇后を除けば初めてのことで、朝廷はわざわざその前例を持ち出して正当さを説いた。基王を呪い殺したという疑いをかけられたのではないか、とも考えられているが、長屋王が何をしたとされたのかは、記録からははっきりしない。

8年後の737年、藤原の四兄弟は、九州から広がった天然痘(天平の疫病)で、4月から8月の間に次々と死んだ。人々はこれを長屋王の祟りとささやいたと語られる。翌738年、密告した中臣宮処東人は、かつて長屋王に仕えた大伴子虫と碁を打っていて言い争いになり、斬り殺された。正史の『続日本紀』はこの記事に、東人は長屋王のことを「誣告」(偽りの告発)した人である、と書き添えている。国の正史が、事件の10年足らず後に、告発は偽りだったと認めたことになる。

長屋王の名を広く知らせたのは、20世紀の発掘だった。1986年から89年にかけて、奈良市の平城京の跡の一角で、百貨店の建設に先立つ発掘が行われ、3万5000点を超える木簡が見つかった。「長屋親王宮鮑大贄十編」と書かれた荷札があり、ここが長屋王の邸宅だったことが確かめられた。王を「親王」と呼んでいることも注目された。木簡には、氷室から運ばれた氷、米や野菜、馬や犬や鶴の世話、写経や薬のことまでが記され、1300年前の一つの大きな家の暮らしが細かく浮かび上がった。邸宅の跡に建った百貨店は2000年に閉店し、そのあとに入った店も入れ替わった。いまは商業施設の脇に、長屋王の邸宅跡を示す碑が立っている。

同じ時代のできごと

平城京遷都AD710年『古事記』の完成AD712年(和銅5年)開元の治AD713年リンディスファーンの福音書AD715年頃コンスタンティノープル包囲とギリシア火717年『日本書紀』の完成AD720年(養老4年)ヤシュチランのまぐさ石AD724年頃聖像破壊論争726年
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD729年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →