概要
天武の孫、左大臣長屋王が「密かに左道を学んで国家を傾ける」と密告され、兵に囲まれて妻子と共に自殺した。藤原の四兄弟が光明子を皇后にするために。8年後、四兄弟は天然痘で同じ年に死に、「長屋王の祟り」と言われた。1988年、邸宅跡から木簡が出た。
場所
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県
本文
長屋王。 高市皇子の子。天武の孫。母は天智の娘御名部皇女。 妻は吉備内親王。元明の娘。 「二世王」。 「左大臣」。724年。 「聖武」。 「藤原」。不比等の四子。武智麻呂、房前、宇合、麻呂。 「光明子」。不比等の娘。聖武の夫人。 727年、皇子。「基王」。生後1か月で皇太子。1年で死んだ。 728年、県犬養広刀自が安積親王を産んだ。 729年2月10日。 漆部造君足、中臣宮処連東人。「長屋王が密かに左道を学んで、国家を傾けようとしている」。 夜。 六衛府の兵。藤原宇合。 2月11日、舎人親王、新田部親王、大納言多治比池守、中納言藤原武智麻呂、右中弁小野牛養、少納言巨勢宿奈麻呂が「訊問」。 2月12日、「自尽」。 吉備内親王と、膳夫王、桑田王、葛木王、鉤取王。 「妃と息子は」。 2月13日、生駒山に葬った。 「吉備内親王は罪がない。例に従って葬れ」。 8月、光明子。皇后。 「臣下の娘が皇后に」。初めて。 737年。 4月、房前。7月、麻呂。武智麻呂。8月、宇合。 「天然痘」。 「長屋王の祟り」。 738年。中臣宮処東人が、長屋王の元の従者に殺された。「誣告の報い」。『続日本紀』が、そう書いた。 「誣告」。 「正史が、8年後に、『誣告だった』と」。 「左道」。 「呪詛」。 「基王を呪い殺した、と」。 「長屋王は、光明子の立后に反対していた」。 「長屋王は、皇位を継げる血だった」。 1986年から1989年。奈良。「そごう」の建設。 平城京の左京三条二坊。 木簡。3万5000点。 「長屋親王宮鮑大贄十編」。 「親王」。 「長屋王家木簡」。 「氷」「米」「馬」「犬」「鶴」「薬」。 「王家の台所」。 「書き損じの木簡が、ゴミ捨て場から」。 「1300年前の、一つの家の、毎日」。 「そごうは、2000年に潰れた」。 「祟り」。 「イトーヨーカドー」。 「ミ・ナーラ」。 「長屋王邸跡」の碑が、駐車場の脇に。