概要
革命前のフランスには、25万を超える単位があったと言われる。同じ「ピント」が村ごとに違い、領主が枡を握っていた。革命政府は、人為ではなく自然に基づく単位を求め、北極から赤道までの子午線の1000万分の1を1メートルと定めた。ドランブルとメシャンが、戦乱のさなかにダンケルクからバルセロナまでを7年かけて三角測量した。メシャンは自分の測定に誤りを見つけて苦しみ、それを隠したまま死んだ。単位を10進で組み上げるという考え方が、以後、世界に広がった。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
**革命前のフランス**。
単位が、ばらばらだった。
ある推計では、フランス国内に**25万を超える**単位が使われていた。
同じ名の単位が、町ごとに違う。「オーヌ」(布の長さ)は、パリで118.8cm、リールで70.5cm。「ブワソー」(穀物の枡)は、地域どころか**領地ごと**に違った。
そして、**枡を持っているのは領主**である。
農民が年貢を納めるとき、領主の枡で量る。売るときは、別の枡。枡の縁をどう擦り切るかでも、量が変わる。
1789年の**陳情書(カイエ・ド・ドレアンス)**——三部会に向けて全国の村と町が提出した要望書——に、単位の統一を求める声が、繰り返し現れる。
「**一つの王、一つの法、一つの重さ、一つの尺度**」。
**革命**。
1790年5月8日、憲法制定国民議会が、単位の統一を決議した。
タレーラン(当時は司教)が提案した。基準は、**自然の中に**求める。人為的な基準(王の腕の長さ)ではなく、誰でも再現できるもの。
最初の案は、**秒振り子**の長さだった(1周期が2秒になる振り子の長さ。約99.4cm)。
しかし、振り子の周期は**緯度によって変わる**(重力が違う)。国際的な基準にするには、緯度を指定しなければならず、それでは「どこかの国の特権」になる。
**子午線**。
科学アカデミーの委員会(ラグランジュ、ラプラス、ボルダ、モンジュ、コンドルセ)が、別の案を採った。
**地球の子午線の、北極から赤道までの長さの、1000万分の1**。
これを **1メートル**(ギリシア語 metron=測るもの、から)とする。
**測量**。
子午線の全体は測れない。実際には、**フランスを通る子午線弧の一部**を精密に測り、そこから地球全体の形(扁平率)を推定して外挿する。
選ばれた区間は、**ダンケルク(北緯51度)からバルセロナ(北緯41度)**まで。約1000km。
(この区間が選ばれたのは、両端が海面上にあり、緯度45度を挟み、そして——全部がフランスとその影響下にあったからである。)
**二人の天文学者**。
**ジャン=バティスト・ドランブル**が北半分(ダンケルク〜ロデーズ)、**ピエール・メシャン**が南半分(ロデーズ〜バルセロナ)。
1792年6月、出発。
**予定は1年。実際には7年かかった**。
**旅**。
彼らが測っていたのは、**三角測量**である。高い地点(教会の塔、山頂、丘)に登り、目印を立て、そこから他の目印への角度を、精密な器械(ボルダの反復円)で測る。三角形を鎖のようにつないでいく。
そして、その全期間が、**フランス革命の最も激しい時期**と重なった。
- 出発の2か月後、王政が廃止された。 - 教会の塔に登って器械を据える二人は、村人から**スパイ**と疑われた。何度も逮捕され、群衆に囲まれた。 - ドランブルは、通行証を何度も取り直した。旧王政の名の入った証明書は無効になり、新しい政府の証明書も、次の政府では通じない。 - 1793年、公安委員会が、アカデミーを解散させた。ドランブルとメシャンは、計画から**解任された**(彼らが「共和国の徳を欠く」とされた)。しばらくして、復帰した。 - 資金が尽きた。インフレで、彼らが持っていた紙幣(アシニャ)が紙屑になった。 - メシャンは、スペインで、フランスとスペインの開戦により**足止め**された。彼は1年以上、帰れなかった。 - メシャンは、事故で胸を負傷し、後遺症に苦しんだ。
**メシャンの誤差**。
1794年、バルセロナで、メシャンは緯度を確定するために、モンジュイックの丘で恒星の観測を繰り返していた。
彼は、**二組の測定値が食い違う**ことに気づいた。差は、**3秒角**(約100m)。
小さい。しかし、彼の器械の精度からすれば、あってはならない大きさである。
彼は、この食い違いの原因を突き止められなかった。
そして、彼は——**それを隠した**。
彼は、都合の良いほうのデータだけを報告し、もう一方を伏せた。
以後、彼は生涯、このことに苦しんだ。手紙に「私は、自分の測定を思うと、夜も眠れない」と書いている。彼は測り直すためにスペインへ戻り、1804年、そこで**黄熱病**で死んだ。
(彼の死後、書類を整理したドランブルが、隠されたデータを発見した。ドランブルは、それを公表せず、封をして保管した。1990年代、アメリカの科学史家ケン・オールダーが、その封筒を開けて、この経緯を再構成した。)
(誤差の原因は、後に判明した。メシャンの器械の設置の問題ではなく、彼が想定していなかった**大気の屈折の変動**と、そして——決定的には、**地球が単純な回転楕円体ではない**ことによる。子午線の弧は、場所によって曲がり方が違う。だから、どれほど正確に測っても、「北極から赤道まで」を正確に外挿することはできない。前提そのものが不可能だった。)
**制定**。
**1795年4月7日**、法律で単位系が定められた(仮の値による)。
**1799年6月22日**、測量の結果に基づく最終的な値が決まり、白金の**メートル原器**(メートル・デ・ザルシーヴ)が作られ、国立文書館に納められた。
同じ日、**キログラム原器**(1立方デシメートルの水の質量)も。
同時に定められた語彙。**キロ**(1000倍)、**ヘクト**(100)、**デカ**(10)、**デシ**(1/10)、**サンチ**(1/100)、**ミリ**(1/1000)。
すべてが10進で組み上がる。
**抵抗**。
人々は、使わなかった。
新しい単位は、日常の感覚と合わない。パン屋も、農民も、古い単位を使い続けた。
1812年、ナポレオンが妥協した。**メジュール・ユジュエル**(慣用単位)——古い名前を使ってよいが、メートル法の値で定義する(「1トワーズ=2メートル」など)。
1837年、ようやく法律で、1840年からメートル法の使用が強制された。
**世界へ**。
- 1875年、**メートル条約**。17か国が署名。国際度量衡局がパリ郊外セーヴルに置かれた。 - 1889年、白金イリジウム合金の**国際メートル原器**が作られ、各国に複製が配られた。 - 1960年、メートルの定義が、原器から**クリプトン86の光の波長**に変わった。 - 1983年、現在の定義。「**光が真空中で1/299792458秒の間に進む距離**」。
つまり、光速を定数として固定し、そこからメートルを定めている。
(2019年、キログラムも同様に、プランク定数から定義されるようになった。パリに置かれた金属の塊が、世界の質量の基準である時代が終わった。)
**採用しなかった国**。
現在、メートル法を公式に採用していない国は、**アメリカ合衆国、ミャンマー、リベリア**の3か国とされる(アメリカは法律上はメートル法を認めているが、日常はヤード・ポンド法である)。
**1999年**、NASAの**マーズ・クライメート・オービター**が火星に突入して失われた。原因は、探査機を作った会社がポンド秒の単位で計算し、NASAがニュートン秒で受け取ったことだった。損失、1億2500万ドル。
**数字**。
そして、最初の測量の結果。
北極から赤道までを1000万分の1にしたメートルは、現在の測定値と比べて、**0.2ミリメートル短い**。
7年、二人の天文学者が、革命と戦争の中を歩き回って測った結果の誤差である。